東盛(東森)家
浅口郡玉島仲買町
佐伯の釜屋武田家の調査をした時に、ご当主の義彦氏に実家東盛家についてお聞きしていました。玉島の本覚寺裏共同墓地に度々通ううちにこの家の墓を見つけました。
古い墓には東森と彫られていますが、もともと現在の井原市木之子町付近から玉島に移住したらしく、木之子には現在も東森氏が数軒あります。
阿賀崎村西浜の問屋変遷を示したものに、安永6年吉井屋源蔵、享和3年吉井屋源六、文政12年吉井屋源蔵とあります。明治初年玉嶋港商店、南町吉井屋東盛源蔵、萬問屋とあります。明治17年玉嶋商店、南町問屋呉服屋吉井屋東盛源蔵とあります。明治13年に設立された甕江銀行、取締役に東盛源造、同恵一(愚一の誤り)とあります。
東森 東盛 覚幽 ――源蔵 ――紋蔵 ――源三 ――源蔵賢光==源三愚一 ――+――源三義賢―――――――――――――+ 寛保3 寛政1 文化4 室福山煙草屋 明治2 榎本氏 | 明治37 | 室西氏 明治33 | 室濱野氏 | 室中塚氏 | | +==勇三 ――徳三 | 昭和20 | 室枝松氏 | 室鼓氏 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――源一 | +――彰治 ――+――男 武田家嗣 | 室武田氏 | | +――男 +――他男一女
彰治妻は新潟県西蒲原の武田氏で釜屋との関係はないようです。
岡山大学附属図書館の酒津梶谷家文書に、吉井屋東盛源三から酒津梶谷伊平次に宛てられた書簡がみつかりました。その内容は、
『東盛源三が梶谷伊平次に500円借りるという証書を発行し、お金は定右衛門という人を通じて届けられた。ところが届いたのは400円であったので、梶谷様からも定右衛門に確かめて欲しい。取り敢えず私が発行した借用証書を返して貰いたい。』
というものでした。
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