平松家・塩飽屋
浅口郡玉島阿賀崎新町
大田茂弥著「玉島地方史研究、下62頁」に玉島村(東浜)と阿賀崎村(西濱)の問屋一覧があります。三郎右衛門は享和三年(西濱−阿賀崎新田村)に
塩飽屋三郎右衛門
が一軒みられるだけですので、この家ではないかと思います。
平松 長谷川 平松 ・ ――三郎右衛門信安――三郎右衛門安吉――三郎右衛門直堅――三郎右衛門毎吉――+――三郎右衛門安信――+ 宝永2 元文3 寛保1 宝暦4 | 文化8 | 室平松氏 室久米氏 室 室山本氏 | 室佐藤氏 | | | +――柳 | 林親方妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +―― 安通――三郎右衛門安材――末彦 ――國太郎 ――三郎右衛門 | 天保8 明治32 昭和4 大正7 | 室更井氏 室 室大月氏 室小池氏 | +――忠治郎安美 | 享和3 | +――剛 寛政9
年代順に墓碑が並べられています。最も古いものには俗名も歿年も記録がありません。
信安妻は隣接したところに墓地を構える平松氏と思います。
直堅と毎吉の墓の間に、
「**院**浄玄居士 寛保元年 俗名臼井周悦
**院**智清信女 明和二年 同姓妻」
という墓があり、直堅とほぼ同世代になると思いますが関係は不明です。
安信妻は備前岡山佐藤與三次紹摂の娘です。この人の墓誌に「生二男一女長曰安通次曰安美女曰剛」とあり、安美と剛の墓碑は確認できますが、安通がありません。
安信妻は寛政七年に四十才で死去していますので(1795-40=1755)、次に生存年代が判る忠治郎安美(享和三年二十五 1803-25=1778)、末彦(明治三十二年七十三才 1899-73=1826)と並べて行くと、安信、安通、某、末彦とつながるはずです。
「**好禅信女 平松安機室本州足守更井氏女名茂代享和三年
**諦休信士」
「**安立信士 天保八年 平松三郎右衛門安材」
という墓碑がありますので、安通=安機、某が安材に相当すると解釈しました。
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