香川家



七太夫==真一   ==譲三  ――+――卯野子
     岡氏     塩見氏   |  ∥
     大正9    室家女   |  +――――+――祥子 守屋正巳妻
     室青山氏         |  ∥    |
                  |  田中静夫 +――滋
                  |       |
                  |       +――亨
                  |       |
                  |       +――佳子 渡辺敏妻
                  |
                  +――三酉 ―― 威
                  |
                  +――香
                  |
                  +――三六
                  |
                  +――真寿夫
                  |
                  +――安

真一は岡山藩士(徒目付)岡長左衛門次男に生まれ、はじめ英五郎といっています。嘉永1年、父に随って江戸藩邸住みとなり、藩命で西洋流砲術を学び、大砲御用掛として安房国北条陣屋に勤務しています。黒船がやってきてたいへんだった頃のことのようです。
文久2年、28歳で岡山藩士香川七太夫の養嗣子となり、翌年同藩士青山陽三の娘好子と結婚しています。
香川家は藩主池田家が三河国にいた頃からの譜代家来で150石給でした。
元治1年に新流大砲御用掛となって新流兵制改革論を建白しています。慶應2年に抜擢されて邑久郡・和気郡を管轄する郡奉行となっています。当時、攘夷論が盛んだった岡山で、真一は開港を主張していました。これは維新後に評価されて、岡山藩議長、権大参事に栄進、明治4年には岩倉使節団に加わって欧米を巡遊しています。帰国後は伊万里県、静岡県参事、工部省勤工助、製作権頭、大分県権令、大分県令(いまの知事)などを歴任しています。明治12年に大分県令を辞し、以後は邑久郡牛窓村に永住して、第二十二国立銀行頭取、岡山紡績取締役、岡山県会議長などを歴任し、岡山県の実業界、政界で活躍しています。


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