河野家
備前国邑久郡車村





河野家は皇孫神饒速日命の末裔越智玉澄からはじまり、代々伊豫国を中心に瀬戸内海に勢力を張っていました。このページで紹介している馬越氏も戸川氏も同族です。

通信――通政――通久――通時――通有――通盛――通朝――通尭――通義――+
                                    |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――通之――通豊――通直――通宣――通直――通春――通恒――晴通―――+
                                    |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――通直――通益――+――通兼――通親――通邑――通元――栄通
           |
           +――通成
           |
           +――通季――治左衛門

通信は源平合戦の頃の人です。通有は、蒙古襲来の時に活躍しています。通直は天正13年秀吉に攻められて安芸国に隠れ、その子通益は備前児島郡小串浦の城主高畠市正の庇護をうけています。通兼は慶長9年生まれ、邑久郡牛窓から服部村車に移住して医業をはじめています。通成、通季は牛窓浦で帰農しますが、通季の子治左衛門は尻海の池田伊豫守に50人扶持で召し出され、河野を川野と改めたそうです。

車の河野家の系図によると、栄通で七十二代とのことですから、河野家の歴史は天皇家に匹敵することが解ります。栄通は享保十九年の生まれで、妻は尻海河野子誠の娘です。

元辰  ――栄通  ――通英伯淳――+――たつ
安永7   文化9   天保11  |  妹尾道順妻
室木村氏  室河野氏  室氏   |
                  +――純
                  |  江田則貞妻
                  |
                  +――美禰
                  |  藤井高豊妻
                  |
                  +――雪
                  |  田淵文卿妻
                  |
                  +――通平三淳――+――通將三淳  ――+――女
                     安政6   |  明治32    |  寺見金五郎妻
                     室小野氏  |  室木梨氏    |
                           |          +――通博    ――+――通剛
                           +――女       |  昭和14    |  昭和58
                           |  池上家嫁    |  室津下氏    |  室
                           |          |          |
                           |          +――女       +――女
                           +――女          佐藤清七郎妻  |  江田稔妻
                              江田家嫁               |
                                                 +――女
                                                    大河原家へ

通平の妻は備中国浅口郡上成村小野家から来ていますが、この家は長尾、船穂の小野家と同じ株のようです。
通將の妹は金川の江田槌太郎妻となりますが、若くして亡くなっています。藤井高豊は国学者として有名な高尚の長男です。


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