公森家
都宇郡大内田村



備中村鑑に 五百二十八石八斗七升 大内田村 公森友太郎

竹右衛門――竹右衛門――友太郎 ――+――健四郎==貞吉     ――+――照子
嘉永5   文久1   明治15  |  大正6  虎太郎子     |
室     室     室     |  室    昭和21     +――喜代子
                  |       室健四郎娘知得  |
                  |                +――幸子
                  |                |
                  |                +――和子
                  |  分家
                  +――虎造  ――+――
                     昭和21  |
                           +――貞吉

藤原俊成卿の末孫です。俊成卿は中納言の位で皇太后太夫(皇太后に仕える仕事)の職に任じられ権中納言定家と共に百人一首を撰しています。
安徳帝に仕えていましたので、源平合戦の後、民間に降り、備中国平田に居住しました。平田に皇太后国コウダイコクという字地名があるのはこれによると云われます。
その子俊直より十三代の後裔某の妻は遺子為俊をつれて大内田村庄屋森竹右衛門妻に再嫁しました。竹右衛門に嗣子がなかったので、為俊がその家を嗣ぎました。
為俊は姓を「公森」と改めて竹右衛門を襲名しました。

森         公森
太兵衛――多助 ――長治郎――仲蔵  ――太平孝俊――+――仲次光俊――太郎正俊――俊郎
     享和1  天保9  明治18  明治40  |  大正10  昭和28  昭和61
室    室    室    室     室板谷氏  |  室岩藤氏  室佐藤氏  室國弘氏
                           |  室松田氏
                           |
                           +――好之助浅俊
                           |  明治8
                           |
                           +――傳作  ――+――毅平   ――+――女
                              昭和23  |  平成3    |  家嗣
                              室吉田氏  |  室      |
                                    |         +――女
                                    +――民子     |  山田家嫁
                                    |  狩谷一九妻  |
                                    |         +――男
                                    +――マルハ
                                    |  暉次妻
                                    |
                                    +――ルキナ

太郎正俊は東京帝大法科政治学科を卒業して大蔵省に入りました。後に日本興業銀行理事や中国銀行頭取を勤めています。



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