松田家
上道郡西大寺村



両備グループを経営する松田家の墓所を西大寺斎場周辺にある共同墓地に見つけました。どこから持ってこられたのか歴史を感じさせるような武家門と石垣、植木を巡らせ、茶室に導かれる庭の休憩所を思わせるようなものまで備えてあって、外から眺めただけだと何処のお殿様の墓かと思うようです(^_^ ;
門には施錠してありますが、何ヶ所か私の太った体も通過できるような隙間が残してありますので、すりぬけて墓碑を拝見させていただきました。



墓碑は江戸末期からのものしかありませんが、院殿大居士号を彫られた墓も石塔はこぢんまりしてなかなか上品な造りです。驚いたことに、墓碑の大部分には「野田」と彫られています。
基、及び尭氏の兄弟から云うと祖父になる與三郎彰義には妻が3人いて、そのうち1人(明治25歿)の墓碑には「野田彰義妻」、もう1人(明治42年歿)のには、「松田彰義妻」とあるのです。そこで全部に目を通してみたところ、いちばん古い夫婦墓に面白いことが書いてありました。
令入實道信士、児島郡波知郷之産野田浅五郎光信、文政10年歿年35
○○妙映信女、妻梶同郡上邑柏野氏、天保9年歿年40
明治24年の岡山県地主録に、22円13銭1厘の直接国税を納めている野田虎三郎が記録されています。明治の中頃という中途半端な時期に何故改姓が出来たのかよく解りません。

野田
浅五郎光信――+==浅五郎
文政10   |  天保12
室柏野氏   |
       |       野田改姓松田
       +==祐八郎――虎三郎一義 ――與三郎彰義――壮三郎
          慶應3  明治43    室湯浅氏   室富岡氏
          室家女  室歳森氏    室稲葉氏
               室須藤氏    室香取氏

文政10歿の浅五郎と、天保12歿の浅五郎、祐八郎の生年は14-5才しか離れていませんので、光信の娘に養子を迎えたと解釈しました。須藤氏、湯浅氏、香取氏には各々「岡山藩士・・」と彫られています。
波知の大庄屋野田家の遺跡を訪ねたとき、「両備の社長が来られて、『ここにうちの先祖だという記念碑を建てさせてくれませんか』と頼まれたのですが、お断わりしました」と聞いていました。


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