宮寺家
窪屋郡帯江村




普学 ==密道  ――密仁  ――+――女
三浦氏  松田氏   平成9   |  佐藤家嫁
大正2  昭和19  室山上氏  |
     室福頼氏        +――男

普学僧正は中興の祖で、備後國福山藩士三浦権平長男です。幼ないころ同国沼隈郡藤江村の豪族岡本(山路)右衛門七に育てられ、僅か八才で同郡金江村字金見の實蔵坊主圓鏡法印の元に入り、その後尾道西国寺玄空大和尚のところで剃髪、その時九才でした。二十才で高野山で修学、二十二才で師の亡き後を嗣いで實蔵坊に入っています。明治七年に火災に罹い全部を失いましたが、本堂房舎毘沙門堂鐘堂など再建、同二十三年に不洗観音寺に転住。二十五年に回廊新築、三十三年に祖師堂再建、四十年に二層賓閣新建、四十一年には本堂総屋の破損を新しくしています。大正元年には鎮守貴船社本殿再築、其他堂舎等を営繕しています。明治十七年に京都大本山醍醐寺の整理に従事、それから遷化まで二十七年間尽力しました。


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