守屋家・田島槇山の株家
窪屋郡三田村



明治三年の宗門帳に、

一、斧次郎  印  歳七十二
  子廣次郎 印  同三十二
  嫁    印  同三十二 廣次郎妻
  孫幾次郎 印  同十二  同人子
  孫いし  印  同八   同人娘
  孫きぬ  印  同七   同人娘
  弟柳蔵  印  同六十二 二月廿五日願出当村傳次養子に遣申候同宗同寺旦那に
  弟嫁   印  同五十八 柳蔵妻  右一紙に遣申候
  養子浅五郎 印 同三十二      右一紙に遣申候
  孫ちよ  印  同三   浅五郎娘 右一紙に遣申候
合拾人内男五人女五人 印 印 牛壱疋
外に孫みよの 印  二月廿八日生 廣次郎娘

という家があります。墓碑によると、浅五郎の先妻は慶應四年に二十七歳で死去した斧次郎の三女豊で、後妻は浅原村宇野家から来た松となっています。以上から、大西守屋傳次兵衛の跡は、二代に渡って夫婦養子が続き守屋斧次郎家の血脈に入れ替わっているようです。
斧次郎家の墓地も槇山墓地のすぐ南にあり、斧次郎の前は、嘉右衛門、勘十郎と遡ることが出来ますが、大西屋との関係は不明です。

勘十郎――嘉右衛門――紋右衛門――+――斧次郎――廣次郎 ――幾次郎 ――栄吉  ――幸男
寛政10 文政7   安政3   |  明治4  明治9   明治24  昭和25  昭和42
           室坪井氏  |       室金谷氏  室三宅氏        室枝松氏
                 +――柳蔵
                    守屋傳次嗣




守屋栄太郎家の流れは、

道雪  ――義榮  ――伴平 ――+――与兵衛 ――宇兵衛  ――菊三郎 ――佐平
享保10  延享2   天明1  |  文化10  慶應2    難波氏   昭和2
                 |        室松森氏   室松森氏
                 |        室古谷野氏
                 |
                 +――和太三郎 ――廣吉 ==鉄蔵  ==仙蔵  ――寿太  ――栄太郎
                    弘化1    明治9  水島氏   中田氏   昭和55  室神崎氏
                    室横田氏?       明治30  明治27
                                      室小田氏




明治三年の宗門帳に、

一、喜久三郎 印  歳四十六
  妻    印  同三十七
  子佐平  印  同十五
  子貞二  印  同十四
  子清蔵  印  同八
合五人内男四人女壱人 印 印

一、鉄蔵   印  歳四十三
  妻    印  同四十二
  養子千蔵 印  同十五
  養父廣吉 印  同七十
  養母   印  同七十二
合五人内男三人女弐人 印 印

の記録があります。栄太郎家の墓地は寺屋敷にあり、これと隣接する墓地と奥まったところにある苔むしたラントウの群からなる墓地(写真)を生坂守屋家が祀っています。



所蔵系図によると、彦八郎 與兵衛 伴平 與兵衛 宇平とつながる家があり 伴平のもう一人の子に和太三郎が出てきます。天明元年の伴平 文化十年の与兵衛 慶應二年の宇兵衛という墓碑の並びに一致すると思われます。

更にもう一家の株家があります。

岩吉 ――與吉  ――仙次郎 ==八十次郎――與左衛門――蔦男
天保5  文久4   明治27  犬飼氏   昭和39  昭和10
     室栗原氏  室山田氏  大正5   室近藤氏  室岡本氏
                 室家女

明治三年宗門帳に次の記載があります。

一 仙次郎  印  歳四十四
  妻    印  同三十五
  娘よね  印  同十二
  娘さよ  印  同七
合四人内男壱人女三人 印 印



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