佐藤家・郡屋
都宇郡妹尾村





平成十年夏、佐藤三郎兵衛家のお墓を捜すために盛隆寺周辺の墓を歩き回っているうちに、郡屋と刻まれた墓を見つけました。

○佐藤彦左衛門良信、万延元年歿、享年七十七
○佐藤寛太郎、大正二年歿、享年七十八
 同妻、明治三十八年歿
○郡屋彦三郎、文政四年歿、享年八十二
 同妻、天保六年歿、岡平七産、享年八十七
○佐藤彦左衛門妻、文政十三年歿、享年三十九、山田村岡幸十郎娘、
○佐藤彦左衛門継室、安政六年歿、享年六十三、備前津高郡長野村伊丹茂市郎娘
○佐藤寛造長男謙太郎、明治三十八年歿、享年四十七
(他省略)

大村官右衛門房重の日記にある
「郡屋(寛政十一年 妹尾郡屋曾孫お・せ生万々歳)」
がこの家かと直感しました。
墓碑を一通り眺めて行くと、梶谷家と縁戚になる岡山市山田の庄屋家との縁戚関係を示す墓碑を見かりました。
少なくとも戦前まで、姻戚関係を結ぶ判断基準は「家柄」とか「家格」というものが中心であったことは事実です。家系図を組み上げて行く上でこのことは無視出来ません。
そのことを念頭に置いてお墓を眺めていると、房重の日記に出ている郡屋はこの家に間違いないのではと考えるようになりました。
房重の祖母の実父は佐藤三郎兵衛義信ですが、この家の墓には彦左衛門良信と刻まれたものがあり、両者の諱の通字(=信)は共通するのではないかと思いました。実はこの諱の通字(=信)は、妹尾佐藤家に広く用いられているものでしたが、その時には冷静に周囲を眺める余裕がありませんでした。

ともかく、この家は佐藤三郎兵衛家か、或いはその分家になるのではないかと考えて、お彼岸の前に簡単なメッセージを名刺大の紙に印刷して保護用熱加工フィルムで包んで穴を開け、これを墓前の花立てにくくりつけて帰りました。
暫く経つと、この墓を祀られているR氏からお電話があり、この家が絶えていることと墓地管理をされている経緯をお聞きすることが出来ました。お持ちの除籍と照合していただいた結果、次のような系図が描かれることが判りました。この家の家紋は「横木瓜」です。三郎兵衛家との関係は不明です。

彦三郎    岡幸十郎娘
 ∥        ∥          山本氏
 +――――彦左衛門良信         多知
 ∥        ∥           ∥
岡平七娘      +――寛太郎(寛造)  +―――+――操 木口氏妻、渡米
          ∥    ∥      ∥   |
      伊丹茂市郎娘   +――+――謙太郎  +――綾子
               ∥  |          ∥
              ツネ  +――盈治――浩   +――R氏
                     岸栄の養子   ∥
                            今川氏

謙太郎の墓碑には寛造長男とありますので、寛太郎=寛造で良いようです。

なお、津高郡長野村伊丹茂市郎という名を岡山市大井の鳥羽家、岡山市庭瀬平野の太田家の墓地でも拾っています。いずれも庄屋や大庄屋を勤めた一族です。山本は岡山市田原で大庄屋を勤めた家だそうです。


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