妹尾家
児島郡阿津村





言い伝えによると、遠祖は妹尾太郎兼康とのことですが、
中世、御津町金川の松田の一族として相模国(神奈川県)から下向した横井丹後守(又七郎)という者が、延元4年に富山城代となり、後に金川臥龍山に移ったそうです。横井土佐守は永禄年中松田将監の家老として金川城に居ました。この人は医術にすぐれ、その調合した薬を飲めばたちどころに病気が治ったそうです。また、生来正直で仁愛に富んでいたために、戦では傷ついた武将を敵味方なく治療したと備前軍記に書かれています。この子孫養元は池田輝政嫡男利隆が、輝政の後妻と半井通仙に毒殺されかけたとき(毒饅頭事件)、解毒剤を用いて利隆を助けたとのことで、光政国替の時には客分となったそうです。

系図をみると、他に、
「妹尾豊前守妙行長禄2年歿 千葉県松戸市小金井本土寺に墓あり寛文年間寿伯定次家来3名を連れ墓参」
「妹尾寿伯定次 中川久琢男」
等という記録もあり、中川氏の流れが書いてあります。永禄12年に児島郡阿津村に隠棲しています。家紋は「梅鉢」、宗旨は日蓮宗不受布施派です。

統一的に理解するのが難しいのですが、おそらく何代か前の母方の姓を名乗ったり、住んでいた土地で姓を変えたり(津高郡横井村?)したものと思います。邦寿(道順)は土佐守から数えて11世とのことです(文政3年、中邨巌州撰「水魚亭記」より)。
江戸時代(戦国末期?)からの墓碑は阿津の山中にあります。
水魚亭と名付けられていた旧邸は児島湾を臨むたいへん眺めのよい場所で、窓ぎわから釣竿をのばせば座敷から釣りが楽しめたのではないかと想像されます。

道順  ――道接 ――+――宗接   ――子直邦寿――道寿  ==謙吉 ==四平治 ――冨士丸
山本氏   山本氏  |  享和2    文久1   明治13  菅原氏  廣畑氏   平成8
室難波氏  文化9  |         室河野氏  室河野氏  室家女  昭和6   室
           +――幸之介善道                   室家女
              天保5                     室中西氏
              室大塚氏

謙吉は1女誕生後に復籍、後に中西家に入り、2女1男をもうけています。この1女が正宗保三郎に嫁ぎ、保三郎歿後に四平治の後妻となります。
謙吉はその後勤皇志士に憧れて中西家を出奔し上京してしまいます。京では、三条大橋の下で喀血する浮浪者を見つけ、妹尾家伝来の喀血の妙薬を与えてこれを治してやりました。なんとこの浮浪者が長州藩桂小五郎であったので、この縁で近衛家に出入りしたり、明治天皇の脈を診ることにもなったそうです。


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