内藤家浅口郡柳井原村

内藤家
浅口郡柳井原村



彦太郎満守の墓誌によると、浅口郡柳井原村(浅口郡船穂町柳井原)内藤家は甲斐武田28將の1將内藤修理正正豊の子孫と云い、播州八千草村に隠居したのち、光政の代に柳井原村に入ったそうです。幕藩体制下で丹波亀山藩の馬廻格、50石の俸禄をもらっていました。
本家の他に分家が数軒あるようです。また、山を隔てた又串地区にも同姓があり、倉敷の新禄商家角屋内藤家の出が柳井原で、又串内藤氏との縁戚関係もあることから、柳井原と又串の両内藤家は同族ではないかと思われます。



原田武左衛門の家はこの分家筋になると云いますので調べてみることにしました。
本家の屋敷はもともと原田家の居住地番の直ぐ北辺りでしたが、その後今の位置に移ったと云います。宗旨は浄土真宗、歴代当主の戒名は○○院釋○○居士という立派なものです。本家の墓碑には家紋は入っていませんが、分家の墓碑には「六条藤」「下がり藤」が入っています。

與平治光政――六郎右衛門満忠――+――彦右衛門満政――+――彦右衛門満治――+――彦右衛門満快――+
享保11   明和4      |  天明3     |  文化9     |  文政10    |
室      室        |  室吉田氏    |  室久米氏    |  室村田氏    |
                |          |          |  室瀬原氏    |
                +――保野      |          |          |
                   久米政賀妻   +――忠吉      +――女       |
                           |  宝暦8     |          |
                           |          |          |
                           +――登野      +――志宇      |
                           |  岡重勝妻    |  溝手憲政妻   |
                           |          |          |
                           +――仙次郎     +――女       |
                           |  安永9     |          |
                           |          |          |
                           +――篠       +――多加      |
                              竹内友尚妻      鞭木栄寿妻   |
                                                 |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――勢以
|  佐藤信順妻

+――彦太郎満守――欽七郎満貴==壽彦満貞――+――斐彦満敏――+――治彦
|  安政6    明治24   大正5   |        |  
|  室瀬原氏   室内藤氏   室浅野氏  |  室内藤氏  |  室三宅氏
|                      |        |
|                      +――男     +――女
|                      |        |  山路家へ
+――総治郎満愛――壽彦           +――四女    |
   明治4    満貴跡嗣                  +――女
   室難波氏                         |  佐藤家へ
                                |
                                +――女
                                   三宅家へ

満守が死去したとき、その子満貴がまだ幼かったので、叔父満愛が代わりに家政を取り仕切ったようです。満貴は成人して家督を継ぎますが、子がなかったので、満愛の子(満貴の従弟)が嗣ぎました。

渡邉家にある書類には、満愛が7代目、原田家は内藤本家第4代目頃の有力者とあります。そうすると、満守=6、満快=5、満治=4代目となります。満治夫婦は文化9年、寛政11年にそれぞれ亡くなっていますが、享年は共に不明です。そうすると原田家が柳井原で隆盛であったのは、宝暦、明和の頃と思われます。そのころから明治の初年まで居たはずの家のことを、現在の柳井原地区の人が誰も知らないと言うのも不思議な話です。



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