日笠家
児島郡藤戸村
日笠家の先祖は坂上田村麻呂ということになっています。源平藤橘といって日本国中の大部分の家の系図が先祖を源氏、平氏、藤原氏、橘氏と云っているのに比べると、ずいぶんユニークな系譜です。田村麻呂も勿論日本史の教科書に出てくる有名人ですが、この子孫の日里宇(ひりゅう)が若狭國日笠に住んで、姓を日笠と改めたと云います。日笠も「ひりゅう」とも読めますね。
それから、白河天皇の治世に備前国和気郡にやってきて、子孫次郎兵衛頼房は同郡天神山城主浦上宗景の家臣となり、同郡日笠村の青山城主となっています。要するに戦国武将ですね。しかし、宇喜多直家に天神山城を落とされ、その子の源左衛門頼重は浪人して慶長3(1598)年に備前児島郡藤戸村(倉敷市藤戸)に来ているようです。頼重の兄頼継は播州姫路の池田家に仕え、普請奉行を勤めています。
慶長9年の藤戸村検地帳によると、源左衛門は水田1町9反4畝20歩半、畠8反7畝、屋敷3畝18歩を所有する村内一の大地主であったようです。今の感覚だととても小規模で、減反を押し進めている政府に褒められそうですが、当時の総生産高はとても少なかったので、2町も持っていれば大金持ちの仲間に入っていたわけです。
坂上 日笠 田村麻呂・・日里宇・・將監親政――太九郎元信――次郎兵衛頼房――+――弥左衛門頼則――三郎左衛門頼継 天正5 | | +――源左衛門頼重――忠右衛門頼宗――源左衛門頼栄―+ 寛永20 貞享2 正徳6 | 室萬波氏 室小川氏 室金光氏 | 室内田氏 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――猪左衛門栄行――+――源蔵栄直 | 享保21 | 享保8 | 室永山氏 | | +――常 +――佐次右衛門 | 永山次右衛門妻 | | +――六郎右衛門 +――女 | 大塚嘉藤兵衛妻 | +――源左衛門栄長――+――源左衛門栄豊――+――高淳法印 宝暦9 | 寛政8 | 室内田氏 | 室小西氏 +――高尚法印 | +――伝次郎 | 井上家嗣 | +――文五郎 | 享保19 | +――源左衛門重栄 ――+――増 | 寛政12 | 藤野源右衛門妻 | 室三宅氏 | | +――志法 +――女 | | 片山善右衛門妻 +――小太郎宣栄――+――裕太郎栄樹――+ | | 文化6 | 万延1 | +――嘉左衛門栄逸 | 室香山氏 | 室三島氏 | | | | | +――女 +――津世 +――清 | | 古市市郎右衛門妻 日笠逸鎮妻 | 三宅孝順妻 | | | | +――高眼法印 +――友蔵栄壽 | | 香山家嗣 | +――女 | | 鳥越新兵衛妻 | | | +――高暉上人 | | | +――留 | 内田文五郎妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――武一郎栄顕 ――+――哲夫成城 ――+――祐太郎 ――+――百勝 | 明治34 | 昭和10 | 昭和20 | 昭和20 | 室三島氏 | 室小野氏 | 室大森氏 | 室山県氏 | | | | +――親之助 +――竹次郎栄昌 +――有二 +――慎之助 | 天保3 | 分家 | 昭和33 | 昭和14 | | | 室大塚氏 | 室 +――以和 +――安恵 | | | 伊庭半三郎妻離縁 | 中島久次郎妻 +――章 +――三郎彦 | 大藤下総守妻離縁 | | 守安巌妻 | 昭和16 | 太田明盛妻 +――静 | | | | 土倉克己妻 +――庸三 +――浩之 +――材次郎栄輝 | 室佐藤氏 | | 野崎家の養子 +――信 +――美枝子 | 後荻野家嗣 | 鈴木家嫁 | | +――国 +――明子 | 三島義政妻 鎌田家嫁 | +――民 荻野善八郎妻
栄樹は弘化3(1846)年から15年間天城組、藤戸組の大庄屋を勤めています。
栄樹の妻は窪屋郡中洲村中島の三島伝太郎の娘、栄顕の妻は同寿太郎の娘、血が濃くなってますね。栄顕の妹は浅口郡玉島の岡本屋太田直七郎の妻、弟材次郎は児島郡味野村の野崎武左衛門の養子となっています。栄顕の次子竹次郎は同村内に分家しますが、子がなく、実妹が嫁いでいた同郡天城村の中島家から姪の小政を養女に迎えて相続させています。祐太郎の妻は備前国上道郡高島村今在家(岡山市今在家)の大森馬之の娘、百勝の妻は明治の元勲山県有朋の孫、この母は元加賀藩主前田家の出だそうです。
分家は
竹次郎栄昌==斐夫 ――+==純夫 昭和5 三宅氏 | 笠井氏 室三島氏 昭和29 | 昭和20 室中島氏 | 室斐夫娘 | +――文 | 赤松翁一妻 | +――貞 | 進成和妻 | +――園 板野弥一郎妻
日笠家の居住した藤戸村の小山は殿居地(とのがいち)と呼ばれ、往時を偲ばせる城の石垣のような立派な石組みが遺っています。
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