三宅家
浅口郡江長村
岡山県南には三宅姓がとても多いですが、とくに倉敷市連島(都羅島、旧浅口郡)には密度が高い印象があります。
連島町のある旧家に所蔵された文書に先祖は新羅国王の王子と書いてあるそうです。学校の歴史の時間に、大和朝廷の直轄地を屯倉(みやけ)とよんだと教えられました。大和朝廷は朝鮮半島から有能な人材を呼び寄せ、この人達を優遇してその技能を利用していました。こういう帰化人達が全国の主な朝廷直轄地に勤務したのだろうと思います。
岡山の県南は、当時の大和国と朝鮮半島との海上交通の要衝にもなっていたでしょうし、気候も温暖で土地も肥沃なので、頭の良い帰化人たちが集団移住したのだろうと思います。ミヤケには宮家と書く姓もあるように、源(ミナモト)よりも朝廷と深いつながりを表現した姓だと思います。お互いに血族関係がない帰化人たちも争ってこの名誉ある姓を名乗ったのでしょうし、或いはそういう帰化人でない原住の人たちまでもミヤケと名乗ってしまったのではないでしょうか。今から1000年以上も前のことなのでよく判りません。
とにかく、岡山の県南には大昔からミヤケという姓がたくさんあったのだと思います。この中から、南北朝の乱で活躍して後に「太平記」を著した児島高徳(小島法師)が出ています。面白いことに、この有名人が出ると、一族の人たち(江戸から明治以降)は口を揃えて「我が先祖は南朝の忠臣児島高徳なり」と言いだします。このウェッブページで紹介している連島町西之浦富島屋、同米屋、連島大江の三宅家、酒津や吉備郡真備町の射越屋など、岡山の三宅はほとんどが児島高徳につながっているようです。本当かどうか判りませんが、岡山城下を整備した宇喜多家も同族だそうです。
下記の系図で、「乗」はノリと読むので「範」「徳」などという文字と誤記されてきた可能性もあります。
備後守乗家――+――左馬之介乗秀――十三郎家秀――左近太郎乗綱――藤五郎春光――藤五郎行光――+――藤一郎乗綱 | | +――次郎家兼 +――藤次郎家高 | | +――三郎高秀 +――藤三郎乗国――+ | | +――三郎高徳 | | | +――藤四郎行春 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――甚太郎光秀――佐左衛門春宗――佐次右衛門徳寿――・・・――興雲禅師――+ 永禄2 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――多左衛門光行――加藤右衛門光春――久左衛門暉宗――+――左次右衛門吉春 分家常舎 慶長3 正保2 寛文1 | 元禄14 | +――喜兵衛高平――+――茂兵衛宗尚――久左衛門乗郷――+ 元禄10 | 正徳6 明和7 | | 室守屋氏 | | | +――瀬兵衛吉俊 分家三寿亭 | | | +――怪憧 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==平兵衛暉興――+――喜兵衛孝興――+――佐四郎 ==竹次郎――+――岩太 岡崎氏 | 文化6 | 文久2 柳井氏 | 天明7 | 室小川氏 | 室田原氏 明治2 +――亀次 室乗郷娘 | 室大熊氏 | | +――浪 +――茂兵衛 柳井家嫁 | 文化5 | 室若林氏 | +――玄的 | +――玄定 | +――女 | 藤本多左衛門妻 | +――女 | 鳥羽治兵衛妻 | +――女 守屋定吉妻
乗郷の妻は西原村守屋紋左衛門娘で、天明5年に85才で亡くなったと書いてあります。一方、倉敷市に西阿知町西原の守屋家の墓地をみると、代々紋左衛門を襲名した家(宗家)がありますが、乗郷妻の実父に相当するはずの墓碑は確認できません。これは守屋家の墓碑が近代になって移転されたときに、古くて磨耗して壊れたか、散逸したかのいずれかだと思います。ただ、守屋家の側からみると、この様なかたちで全く聞いたこともない家の系図から自分の家の家系を知る材料が得られることもあるのが解ると思います。なお、暉興の娘の1人が守屋定吉に嫁いでいますが、この守屋家も西原村とあります。
分家常舎
左次右衛門吉春――左次右衛門――+――左次右衛門高良――+――佐次右衛門――+――なか 元禄14 享保13 | 明和4 | 天明2 | 溝手吉方妻 室 室 | 室 | 室 | | | +――佐次右衛門――佐次右衛門――+ +――女 +――女 嘉永4 | | 木谷明喬妻 木谷偏曹妻 室犬飼氏 室 | | | +――ヨシ | | 小池家へ | | | +――傳兵衛政成 | 鈴木家嗣 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==丈平――市太郎 ――賀一 ――萬寿夫 ――** | 昭和9 昭和32 昭和48 | 室中野氏 室守分氏 室犬飼氏 | +――静 鴨井徳右衛門妻離縁 横溝家嫁
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分家三寿亭(新屋、柏岩屋、後洞園)は下記のようになります。
瀬兵衛吉俊――曽右衛門吉貞――+――武右衛門平郷――+――武右衛門直郷――+――雪 享保9 宝暦10 | 文化1 | 弘化4 | 守安久孝妻 室河合氏 | 室田島氏 | 室片山氏 | | | +――奇之介宗作==隼之輔直廉――+ +――女 +――敬輔 | 嘉永6 守安氏 | | 小野家へ嫁 分家 | 室亀山氏 明治17 | | | 室守安氏 | +――女 +――加那 | | 大熊正重妻 | 守安舜輔妻 | | | | +――女 +――賀與 | | 岡崎亮長妻 熊谷忠真妻 | | | +==実哉 | 大熊氏 | 分家 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――龍三郎義郷 | 明治25 | +==狷介 ――恒夫 吉田氏 室畑氏 昭和29 室片山氏
恒夫の妻は岡山大学眼科教授を勤めた畑文平の娘です。
平郷の末妹は茂浦の大熊氏を迎えて分家油屋を立てています。
荘左衛門実哉――+――荘左衛門美英――+――浅之丞 大熊氏 | 天保2 | 菅波家嗣 天明8 | 室岡本氏 | 室吉貞娘 | +――政治郎美之――+――俊平 +――男 嘉永5 | 桂之家嗣 菅波家嗣 室鳥越氏 | +――荘左衛門義質――+――碩夫 ――+――憲治 ――+ | 明治25 | 大正11 | 昭和3 | | 室鳥越氏 | 室窪田氏 | 室山北氏 | | 室柚木氏 | 室南条氏 | | | | +――忠夫 | +――道 +――元枝 | 昭和11 | | 菅波信義妻 | 蜂谷家へ嫁 | 室三浦氏 | | | | | +――男 +――春野 +――恕夫 | 菅波家嗣 | 中原家へ嫁 | | | +――順子 | +――廉治 | | | 室飯尾氏 +――信子 | | | | +――誠竜 +――恭子 | 室宮本氏 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +==展夫 | 吉田氏 | 室憲治長女 | +――寿栄 | +――紹栄 高木家へ嫁
碩夫は東京英吉利法律学校(現在の中央大学法学部)を出て弁護士となり、東京銀座に開業しています。シーメンス事件では雄弁をふるって名声を得ました。また、たいへんな相撲愛好家であったそうで、常陸山会々長として相撲協会の発展にも貢献しています。碩夫の母文子は浅口郡占見新田村の柚木氏で、文子の妹は児島郡柳田村の篠井宗鎌に嫁いでいます。
直郷の弟敬輔は桂之屋という分家を立てています。
敬助煌 ――+――都多 天保9 | 日笠家へ嫁 室三宅氏 | +――喜和 | 井上義忠妻 | +==俊平義方 ――節夫 ――+――彰 ――+――哲夫 ――+――** | 三宅氏 明治42 | 昭和38 | 平成16 | | 明治12 室小山氏 | 室羽原氏 | 室桑田氏 +――** | 室家女 | | | +――有年 +――猛郎 +――理恵 小山家嗣 | 吉田武政妻 | +――さち 金谷光季妻
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