隅屋藤野家
備後国深安郡福山町
浅口郡鴨方町長川寺の高戸家墓地に建っている中島桑の墓碑には、桑の生んだ男子が福山の藤野家に養子に入ったと書いてあります。「藤野さんという家にも我々と同じ血が流れて入るんだなあ」と思いましたが、これだけでは何も調べようもありません。長い間、このまま放置していましたが、ある方から福山の藤野という家名とご子孫の連絡先お聞きして、もしかしたら・・・という気持ちで手紙を書いてみました。お返事はおおかた1年も経ってから忘れた頃にやってきました。
「お尋ねの件についてよく解らなかったものですから、ついそのままになっていました。こうしてお返事を書いているいまも、よくは解らないのですが・・・」
という断りで始まる文章を読みながら思わず笑ってしまいました。家系図の調査には根気が要りますが、手紙の返事を数ヶ月待つことくらいはなんでもないと思って下さい(笑)。
お手紙によると、藤野家の先祖は福山を開いた藩主水野勝成に付いて、奈良県大和郡山市から来たそうです。
藤野家の墓地は福山市の日蓮宗妙政寺にあり、寛永、寛文というたいへん古い銘の入った大きな墓碑をはじめとして歴代の墓碑が整然と並んでいます。ただ、家譜の類は戦火のため遺っていないようで残念です。
宗祐―― 素竹==才治郎頼忠――+――二女子 寛文9 享保6 桑田氏 | 室 室 +――宗治郎敬重 ――+――才次郎繁之==忠右衛門時隆==才治頼卓――+ 室 室 室 | 文化5 | 寛政12 羽田氏 高戸氏 | 室 | 室 | 室瀬尾氏 天保11 明治14 | | | 室繁之娘 室神野氏 | +――庄左衛門玄宣 +――古世 | 羽田家嗣 山内光敬妻 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――宗次郎頼輝――+==六之助 ――柳吉 大正13 | 井上氏 明治27 室久山氏 | 室頼輝長女 | +==義彦 ――+――幹雄 ――美知子 | 宇都宮氏 | 昭和42 | 昭和21 | 室三好氏 | 室頼輝長女 | 室野村氏 | | +――臣雄 +――房 明治10 | 小田雅夫妻 | +――旗治 宇都宮家嗣
才治頼卓の墓碑の傍らに嗣子宗次郎が近藤章氏に頼んで書いて貰ったという「倦翁君の碑」という石碑が建てられています。
「文化15年に高戸家に生まれ、若くして藤野家の養子となり、家業酒造業に精を出し家産を増加させています。国学を野々口隆正について学び、45歳で子に家督を譲り、倦翁と号して藩儒官門田朴斎について詩を学んでいます。晩年には新約聖書を読んで注解を作っています。茶道、書画を好んで、秋菊数十種を手栽して自ら陶淵明に比していました。」
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