大森家
都宇郡早島村長津





この家の先祖は関白藤原道隆ということになっています。この6世の孫信濃守親家が、駿河国鮎沢庄大森に住んで姓を大森と改めたようです。

備中国都宇郡、賀陽郡内に領土を与えられた戸川肥後守逵安(みちやす)は、関ヶ原の戦いの時に東軍(徳川方)に属しましたが、この時に早島大森家の祖與三右衛門安元は軍用金を戸川家に献上しています。慶長19(1614)年の大阪冬の陣の時に逵安が早島領内の庄屋百姓に宛てた文書が遺されています。宛先は、無津の九郎左衛門、いちばの助左衛門、しほつの与兵衛、長津の与三右衛門になっています。これは、早島東3箇村の庄屋を継承した佐藤家の所蔵だそうですが、大森家が戦国末期から既にこの地方で、一定の地位を固めていたことが窺えます。

與三右衛門――六兵衛安忠――+――与三右衛門――+――与次右衛門実忠
安元     慶安4    |  安実     |  宝永2
寛永12   室平松氏   |  延宝2    |  室平松
平松氏          |  室平松氏   |
              |         +――与三右衛門元忠――――+
              |            享保21       |
              |            室永井氏       |
              |                       |
              +――次郎右衛門――与七郎――+――彦次郎   |
                 延宝9    享保18 |  享保7   |
                             |        |
                             +――孫九郎   |
                                元忠の養子 |
                                      |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==孫九郎経忠――彦四郎諧忠――+――与三右衛門矩忠――+――女 高田京之助妻
   宝暦11   母小野氏   |  天保8      |
   室元忠娘   天明2    |  室三宅氏     +――女 江口薫方妻 離縁後太田巌妻
   室小野氏      室大森氏   |           |
                 +――女 信義妻   +――初右衛門篤忠――+
                                万延3     |
                                室中西氏    |
                                室西村氏    |
                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――与三右衛門惟忠===助太郎昌忠――+――孫九郎忠恒――松枝 藤原晨二妻
|  安政6       藤波氏    |  明治39
|  室西村氏      文久3    |  室大森氏
|            室惟忠娘   |
|                   +――仁吉忠信==郁造忠正―――――――+
+――女 藤波光右衛門妻           大正9   田尻氏        |
                       室笠井氏  昭和32       |
                             室忠信娘       |
                                        |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==武男忠康
   藤原氏
   昭和48
   室谷口氏

承應元(1652)年、西田村80町余の開発が早島村庄屋佐藤助左衛門と中島村庄屋九郎兵衛によって着手されましたが、同3年から早島大森家3代安実が加わり、明暦2(1656)年に完成しています。中島村九郎兵衛について詳しく書いてある本を知りませんが、玉島開発の功労者大森元直の妹に迎えられた養子婿九郎兵衛元央(1665歿)にあたると思います。

5代元忠は領内ではじめて大庄屋に任じられています。6代経忠、7代諧忠、8代矩忠、9代篤忠と続きます。諧忠の娘の一人が同郡山田村(岡山市山田)の岡仙三郎信義に嫁いでいます。矩忠は国学者藤井高尚の門人で、頼山陽とも交遊があり、山陽は矩忠の居を「観日楼」と名付けています。矩忠の長女秀子は児島郡下村(倉敷市児島下の町)の高田京之助寿に、次女美加は浅口郡阿賀崎新町(倉敷市玉島)の太田直七郎巌にそれぞれ嫁いでいます。

惟忠からあとの代がたいへん複雑になっています。昌忠は惟忠の甥(妹の子)になり、昌忠夫婦はいとこ同士になっています。その子忠恒の妻は惟忠娘と大森忠行の間に出来た娘ですから、この代もいとこ結婚です。忠恒夫婦の娘松枝が藤原晨二に嫁いで産まれた子が郁造の跡を継いだ武男です。


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