小野家・坡南
浅口郡長尾村
大きな五輪塔が建ち並び、身分制度の厳しかった江戸時代によくこんな墓碑を建てられたものだと感心します。墓地内の一番古い年代の墓碑は、寛永十九年歿の六右衛門とその妻(寛文十年歿)の墓碑です。年代からみると、これらもけっこう立派な墓碑ですが、六右衛門の戒名は**祥意信士、妻の戒名は妙正信女としか彫ってありません。もともと戒名というのは信士、信女の前の二文字だけで、その前の二文字は道号といって、仏教を習得した人に、生前の徳を讃えて付けられたのがはじまりだそうです。喩えようが俗かも知れませんが、上二文字が姓、下二文字が名と云えます。
宗派が違えば戒名の付け方も異なりますが、同じ株家であれば、分家すると戒名が簡単になるのが普通です。例えば、本家を相続した兄が○○○○信士で、分家した弟が、破格の出世などした場合は別ですが、○○院○○居士などということは普通ありません。従って、墓碑が簡素でも、戒名の良い方(値打ちのある方?)が本家だと考えながら調べるのも参考になります。坡南には本家筋の家があります。坡南の小野家の墓碑は一族の墓碑の中でも群を抜いて立派なものですが、一般に分家すると墓碑が立派になっているという印象があります。
六右衛門 ――忠兵衛正慈――+――彌次右衛門 寛永19 元禄14 | 濱田屋 室 | 室小野氏 +――理牟 室 | 屋葺半右衛門妻 | +==重右衛門正久 | 浅野氏 | 爪崎村分家 | +――忠兵衛吉正 ――+――忠兵衛寛正 ――+――婦里 | 享保10 | 延享2 | 浅野長芳妻 | 室山田氏 | 室堀氏 | | | +――喜志 +――七十郎政由 +――久 | 小野介維妻 | 阿賀崎村分家 | 岡吉郎右衛門妻 | | | +――美須 +――安右衛門 +――佐之七 | 山田寛貞妻 | | 山田家嗣 | | | +――里 +――助太夫 +――小源治 | 安延政因妻 分家 政由の嗣 | +==忠兵衛正並――+ 堀氏 | 明和9 | 室寛正娘 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――猶吉方 ――+――本太郎務 ――+――善太郎譱 ――+――芳志 ==久彦 ――+――** | 文化13 | 安政1 | 明治24 | 昭和2 川口氏 | | 室山田氏 | 室誠娘 | 室平岡氏 | 平成9 | | | | | 室高橋氏 +――** | +――奴佐 | | | 福永家嗣 | | 小野久敬妻 | +――女 | | | | | 小野久積妻 +――**子 +==源次兵衛誠 +――女 +――竹 | 服部**妻 | 有芳亭 藤井彦七郎妻 小野久徳妻 +――多米 | | 昭和9 +――泉蔵達 | 招月亭 +――可舞 天野延徳妻
重右衛門正久は、正慈の後妻小野氏が先に嫁いでいた陶村の浅野氏との間に生まれた子です。
安右衛門の子は岡田藩三宅家と同藩守澤家に養子に入っているようです。即ち、
「守澤要人の養子安太夫、三宅兵助弟で長尾村小野安右衛門倅安太夫」
とあります。
岡吉郎右衛門へ嫁いだ久の長女松は山本信福へ次女幾佐は山田芳方へ嫁いでいます。
平田村の山田又左衛門の娘夏は坡南の小野忠兵衛吉正の妻となり、その孫娘喜志が柳屋小野市郎左衛門介維の妻となっています。上記の通り、平田村の山田家とは重縁があります。
寛正の妹久は西阿知村岡吉郎右衛門(源八)の妻となりますが、夫と共に若くして亡くなったためか、その二人の娘は小野家から他家に嫁いだようです。即ち、長女松は浅口郡阿賀崎新町の播磨屋向店(播磨屋の分家)山本七郎右衛門へ、次女幾佐は浅口郡陶村の山田兵右衛門の妻となっています。
猶吉は儒学を西山拙齋に、和歌を澄月、慈延に学び、菅茶山、頼春水、山陽と親交がありました。猶吉は若年に失明していたようです。墓碑は頼山陽の撰文です。務は父の代理で丹波亀山藩御用達、小姓格で実務を執り、五十石の給料を貰っていました。天保七年の飢饉では私米を供出し、江戸定番格、馬廻役に任じられています。務もその子の善太郎もともに和歌をよくしていますが、善太郎はとくに著名歌人であったようです。
吉正の跡は、寛正、正並と続き、正並の子の代で三家に分かれています。本家を坡南(はな、移山亭)、分家を新宅(有芳亭)、桜本(招月亭)と呼んでいます。この分家は、土地を分けずに給米(年間三百石)であったそうです。土地を分けると本家の資産・生産力が落ちるので、こういう分産方法をとった分家がときどきみられます。
有芳亭(墓地上写真)
源次兵衛誠――+――樹太郎寿 ――+==養三郎隆==暎太郎 ==専蔵 ――清行 小野氏 | 安政2 | 小野氏 堀部氏 小野氏 平成4 文政5 | 室達娘 | 明治9 昭和2 昭和26 室高戸氏 室正並娘 | | 室寿娘 室隆娘 室暎太郎娘 +――利乃 | | 高戸孝善妻 +――鷹 | 小野強妻 +――琴 小野正雄妻
養三郎は船穂の柳屋の分家岸上亭から迎えられた婿養子で、長尾村庄屋を勤めています。安芸国広島の堀部家から迎えられた暎太郎も長尾村村長、県議を勤めています。
招月亭(墓地上写真)
泉蔵達 ――+==主一郎 ――+――幾美 天保3 | 河村氏 | 小野久徴妻 室小野氏 | 明治14 | | 室寿娘 +――節 ――+――比左子 | 小野氏 | 小野久徴跡嗣 +――梅子 大正6 | 樹太郎妻 室平岡氏 +==文三 ――+――* 三上氏 | 昭和49 +――寛 室節娘 | 岸上亭を嗣ぐ | +――厚 | 昭和37 | 室中山氏 | +――* 室大西氏
泉蔵も文人としてきこえ、頼山陽との交遊も深かったそうです。節は玉島銀行取締役、長尾村村長、長尾郵便局長、中国紡績取締役などを勤める一方、和歌や漢詩、書画にも長じ、のちに井上通泰に師事して、中央歌壇でも有名でした。長尾郵便局は長尾招月亭内に創設されたようで、ここでも郵政事業が庄屋から生まれています。井上通泰は民俗学者柳田国男の兄で、岡山医学専門学校眼科教授、吉備史談会会長などをつとめた人です。
助太夫以後
助太夫 ==勢太右衛門正孚――+――曽根 小野氏 | 塚村高久妻 室別所氏 | 室助太夫娘 +――寿 | 塚村高久妻 | +――梶 坪井知義妻
正孚は支族又串小野惣兵衛男、寿は第九女です。
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