井上家
都宇郡妹尾村
佐藤家墓地を捜すために妹尾中を歩き回ったとき、藤井家の墓誌にこの家との関係が記されているのを知りました。
道意 ――道感 ――+――孫恵 ――+――又兵衛忠春――亦兵衛武啓――彌左衛門宜武――+――武右衛門義忠――+ 享保2 宝暦5 | 宝暦12 | 文化3 天保4 天保4 | 天保2 | 室 | 室 | 室 室吉田氏 室 | 室藤井氏 | | | | 室三宅氏 | +――孫右衛門 | | | | 安永3 +――道照 +――熊治郎 | | 元文3 天保11 | +――與右衛門 | | 寛政5 | | 室 | | | +――又右衛門 | 安永8 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――又兵衛収――守太郎――+――績 明治4 大正7 | 三宅岡次妻 室 室 | +――愿夫 | 明治36 | +――恭平 ――邦彦 | 大正15 平成13 | 室井上氏 | +――三郎 | 大正12 | +――英野 西山欽治妻
大庄屋井上又兵衛として郷土資料に見られるのは又兵衛収のようです。収の父武右衛門義忠は天保二年に二十八才の若さで亡くなっています。その最初の妻は藤井正右衛門宣時の娘で、文政十一年に二十才で早世、翌年に三宅煌長女津多(飛多)が後妻に入って収が生まれますが、義忠が間もなく亡くなったため、津多は離婚して実家に復籍しています。墓地には津多の墓はありますが、藤井宣時の娘は建てられていません。
義忠の父は彌左衛門宜武、その妻は千代とありますが出所は不明です。亦兵衛武啓妻積は北大福吉田彌右衛門義清娘(文政十一年 六十二)です。
恭平妻は足高神社社家井上泰雄四女となっています。
隣の一段下にあるのが分家の墓のようですが、明治初年以降の墓碑がありません。
弥兵衛――又三郎忠方==啓左衛門忠親――+――太作 文化4 天保7 三島氏 | 室日笠氏 室 室 嘉永5 | 室忠方長女 +――志都 嘉永7
啓左衛門忠親は窪屋郡沖村の三島周助三男となっています。笹沖村の小川和太郎妻與志野が沖村三島林助長女となっていますので、おそらく同じ家と思います。太作妻丈は児島東畦日笠耕八郎長女とあり、これは撫川村難波家の質妻宣江(興除村日笠翫文三女)の出所と同じ家と思います。
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