伊丹家
都宇郡福田村中大福





平成十五年三月に佐藤S氏に教えていただいて大福佐藤三郎兵衛家の墓地を捜しに行った時、草に覆われたこの家の墓地に遭遇することになりました。場所は三郎兵衛家の墓のすぐ近くです。並んでいる墓石や戒名の立派さからみて、相当に繁栄したことが判りますが、いまではその跡も絶えているようです。
大村官右衛門房重の日記に出てくる大福という地名入りの記事の中に「寛政七年正月廿一日、大福伊丹常右衛門隠居名南(?)計死去」というのがあります。かなりの遠方になる都宇郡大福村内の家について書かれていますので、佐藤家と何か関係がある家のように直感していました。

絡まった蔦を伐って現れた碑文を読んで系図を組み上げてみました。
「**院宗恵居士 寛政七年正月二十一日 伊丹常右衛門尹重」
という墓がみつかりました。

常右衛門尹重――+――良右衛門尹英――+――女
寛政7     |  文政10    |  服部屯妻
室平松氏    |  室毎野氏    |
        |          +――四郎次尹一
        +――梅       |  文化6
           國枝正義妻   |
                   +==良右衛門尹成――+――祐吉
                      稲川氏     |
                      天保9     +――某
                      室大熊氏    |
                              +==某
                                 陶山

房重の日記にある常右衛門妻は帯江新田平松氏となっていますが、どうも常右衛門より前代の墓碑はありません。現在の妹尾・大福地区に伊丹姓はありませんから、常右衛門はどこからか移住して来た家のようです。大福に比較的近くて伊丹姓が多いのは岡山市長野から足守付近です。
尹英室は備前福嶋村毎野喜三郎娘ですが、佐藤三郎兵衛家と縁戚関係が確認されている難波家の竜蔵という人が御野郡福島村名主喜三郎忰とあり、竜蔵先代茂四郎(佐藤三郎兵衛子)の記録に「構別宅名は常右衛門と改之」というのがあります。年代的にも辻褄が好く合いますので、福島村名主喜三郎は毎野喜三郎、構別宅名は伊丹常右衛門となるのではないでしょうか。

良右衛門尹成の墓誌には興味深いことが記されていました。
「尹成は備前岡山の稲川彌三兵衛長勝の第三子で、寛政元年の生まれ、まず那須氏を嗣いで銀之丞と称し、文化四年五月に故あって備前を去り、備中依青木侯の臣北田村鳥越真兵衛のもとに行きました。その後、文政七年に伊丹氏の養子となっています。養父良右衛門尹英は戸川家に仕えていたので、尹成もその跡を継いで良右衛門と名乗りました。室は酒津村大熊氏で二子あり、長男祐吉は岡山藩山脇氏の養子となり、次男は幼少のため、同僚の陶山伊左衛門第四子を養子としてあとを継がせました。この陶山氏も戸川家臣です。」
青木侯の臣北田村鳥越真兵衛というのはこちらで紹介している鳥越家に違いありません。

尹成の墓誌を作成しているのは岡山藩尾関勝清とありますが、この尾関家は房重の叔父が養子に行った先で、妻の出所でもある尾関家と何らかの関係がある家のように思えます。


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