亀山家
御野郡中仙道村





中島富次郎栄武の縁合覚書に

中島村源左衛門子為蔵・・・参今の・三郎父也母は岡山片瀬町は松屋源五郎家より此姉辰巳平六妻
  笠之介妻下庄より行
辰巳権左衛門方、重縁

栄武の記した岡崎家略系譜に
岡山市加茂岡崎弥三七(七代目澄山信士) 室辰巳権左衛門妹

弥三七の甥脇本甚兵衛が中島家に入り分家を興しています、栄武はその孫になります。

更に、鴨方村の奈良屋分家高戸東太郎公秩妻梶が「御野郡中山道村亀山平六成経長女母岡山(小)松原氏、天保五年歿年廿八」
とあります。東太郎公秩は中島富次郎栄武からいうと義甥になります。

中仙道と辰巳が隣接しているので、両村の亀山家は同じ株ではないかと思います。縁合書に出てくる「辰巳」というのは家の名前でなくて、軽部(脇本家)、下庄(難波家)と同様に亀山家のことです。

平成十二年正月、天野家当主の妻が亀山氏とお聞きして、現当主を捜し出し、手紙で墓地の場所を問い合わせたとことがありました。その時のお返事には
「終戦後、現在地に転居してきたので、岡山はお寺しか判りません」
と旦那寺を紹介いただきました。

墓地は平井家調査の課程で平成十五年十月に偶然発見し、上写真の通りずいぶん荒れています。すぐ北隣が平井家墓地です。

宗右衛門――助右衛門宗武――+――平六郎宗信――+――権右衛門敬郁――+――紹平成徑 ――+――照吾
      享保14    |  宝暦7    |  安永4     |  天保4    |  
小野氏  室佐藤氏    |  室原田氏   |  室尾崎氏    |  室小松原氏  |  室片山
              |         |          |         |
              +――女      +――女       +――津岐     +――梶
                 木村吉内妻     岡崎弥三七妻  |  尾崎盛芳妻     高戸公秩妻
                                   |
                                   +――女
                                      片山寛明妻

助右衛門宗武の妻は歿年が最も近い墓碑から選んでみました。佐藤氏とのみありますが、妹尾、早島方面の佐藤氏の可能性が濃厚です。
平六郎宗信と権右衛門敬郁は前後逆になるのかも知れませんが、子が早世しているのはほぼ間違いないと思います。原田季昵の次女は夫早世のために再縁したのではないでしょうか。そうすると先夫(亀山氏、上系図では宗信)との間には子が居なかったのかも知れず、次代(上系図では敬郁)は夫婦養子になるのかも知れません。加須山尾崎家に「勝左衛門盛幸娘安、御津郡亀山権右衛門妻宝暦六年」とあります。安の甥で家を継いだ定右衛門盛芳妻が「津岐、御津郡亀山氏、文政四年八十才」となっています。
尾崎家には他にも亀山家との縁合が出ています。中屋初代伝右衛門重宗(寛永十七年歿)の長女が亀山氏へ嫁ぎ、四代久左衛門妻が亀山氏です。

木村吉内妻は年代合わせをするとだいたいこの辺りだろうということで入れてみました。
照吾から二代くらいを置いて私が問い合わせたご当主となるのでしょうか。


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