加藤家
下道郡川辺村





亮庵隆玄――+――新左衛門政行――+――玄春正純――+――養玄政之 ==常蔵 ==正之進  ――綾次郎 ――+
元禄7   |  正徳1     |  延享3   |  寛延2    文政4  渡邉氏    大正6   |
室     |          |  室     |              明治20   室鳥越氏  |
      |          |        +――房           室大津寄氏  室田邉氏  |
      +――小兵衛政春   +――隆仙正伸  |  大月朔庵妻       室守屋氏         |
                    享保6   |                           |
                    室     +――貞                        |
                             文化10                     |
                                                      |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――昭一郎
|  鳥越家嗣

+――潤夫
|  鳥越家嗣

+――寿雄  ――實郎
|  昭和50  平成18
|  室藤原氏

+――鶴野
|  友野家嗣

+――朔二
|  吉富家嗣

+――要
   坪井徳太郎妻

戦国時代、南山城に在城した加藤新左衛門の子孫と言い伝えています。

名前の通り、この付近一帯は高梁川と小田川の合流地点で、洪水を起こしやすく、その度に村中が水害に見舞われるということが、昭和の時代まで続いていたようです。にもかかわらず、両河川を利用した水運の拠点であり、また山陽道の宿場町ということもあって、江戸時代にはそうとう栄えた町であったようです。



分家は江戸時代になって岡田藩伊東家に仕え、勘定奉行にまで出世しています。

小兵衛政春――定平政則――+――伴蔵政陽==民治政俊――+――槙
宝暦12   明和9   |  文政1   三宅氏   |  塚村昌言妻
       小原氏   |  室三宅氏  天保8   |
             |  室岡氏   室政備娘  +――條太郎政比  ――+==治平政密  ――+
             |              |  明治5      |  田中氏     |
             +――五蔵政備        |  室三宅氏     |  明治43    |
                分家          |  室高戸氏     |  室政比娘    |
                            |  室菅波氏     |  室大熊氏    |
                            |           |          |
                            +――良左衛門政軌   +――鹿       |
                            |  分家          大津寄順成妻  |
                            |                      |
                            +――美佐                  |
                            |  加藤政續妻               |
                            |                      |
                            +――久美                  |
                               中島直方妻               |
                                                   |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==次郎助正氏――+==三郎  ――正雄
   土居氏    |  福島氏   昭和21
   大正10   |  昭和19  室梶村氏
   室政密娘   |  室正氏娘
          |
          +――辰太
             水澤
             昭和20
             室正氏娘

農地改革の前、加藤家の所有田畑は八十町にも達していました。



條太郎の弟良左衛門(政軌又は正得)は分家して岡田藩に出仕します。墓前に佐々木千代という銘の入った灯篭が建てられています。

良左衛門政軌――+――五左衛門
嘉永6     |  塚村家嗣
難波氏    |
        +――宇野
        |  武田豊敬妻
        |
        +――基子
        |  西山宗政妻
        |
        +――千代
           佐々木善三郎妻

五左衛門は暘谷という号で画家として有名です。



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