難波家
下道郡川辺村
山陽道川辺宿の本陣を勤めた家です。
累代墓碑の碑文には、「難波氏祖藤原忠教藤原氏11代京極藤原師實卿第5男難波に移住し難波と称す」とあります。
19代孫元兵衛宗敏は備前児島郡郡村(岡山市郡)に住んでいましたが、備中高松城の水攻めの時に毛利方として籠城し、城主清水宗治等と共に討死しています。
この次男四郎宗章が19才で川辺に分家して医業をはじめたのがこの家のはじまりです。
元兵衛の母は窪屋郡山手村守安家から出ているので、宗章の墓碑も江戸初期に大庄屋を勤めた守安家の墳墓と共にあるそうです。
それから代々、神道無念流剣道道場と本陣を経営していました。
元兵衛宗敏――+――次兵衛 慶安1 | 室守安氏 +――四郎兵衛宗章――宗七宗定――久兵衛能久――+==弥三兵衛能清――――+ 寛文11 | 真野氏 | 室堀氏 | 延享4 | | 室家女 | | | +――女 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――女 渡部義隆妻 | +――宗七能厚 ――+――総七能静――+――女 岡崎家嫁 享和2 | 文政7 | 室江尻氏 | 室難波氏 +――能孝 | 室大塚氏 | | +――女 三村家嫁 +――安兵衛 | 日枝家嗣 +――総七能友==亀三郎能増==力太郎義高――+――勇 真山家嫁 明治13 平田氏 羽田氏 | 昭和16 室西尾氏 明治42 大正14 | 室辻氏 室能友娘 室能増娘 +――栄 | 大正5 | +――篤子 | 昭和32 | +――輝子 昭和63
能清は能章とも名乗ったと思われます。総社市三輪渡部(神々)家の墓碑に川辺村難波能章娘という墓碑があり年代が一致します。
能静ははじめて苗字帯刀を許可されています。妻は下庄村の難波平治永栄娘で、2男2女を生んで亡くなり、後妻大塚氏にも2男2女があったようです。9代亀三郎は讃州大濱村平田家から迎えられた婿養子です。この夫婦の墓碑は有井寶生院にあり、8代と彫ってあります。この墓碑に「丸に三つ栢」の家紋が入っています。10代力太郎は福山の羽田家から来ていますが、難波家が逼塞してしまったために、実家に戻って分家しています(墓碑は福山光善寺)。その関係でしょうか、娘は羽田姓を名乗り、墓地は難波家と羽田家の先祖の合祀になっています。
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