倉地家
英田郡奥村





「玉野屋親類記」の舛屋妹尾家の項目に、奥村三郎右衛門母となった人の記述があり、更に、
「この人早世、後妻は永田敬蔵殿の伯母、この家に嘉永7年3月21日舛屋伯母位牌拝みに行き云々」
ということが書いてあります。
あまりに詳細な記述で、永田敬蔵という箕作阮甫の師匠の名まで出てくるので気になって調べに行きました。
倉地氏の先祖はもと津山藩森家に仕えた新左衛門という侍(500石)で、森家の改易後に奥村の森元太郎兵衛の世話になり、この村で帰農したようです。家紋は源氏車です。新左衛門の子助左衛門からの系図を描くと、

助左衛門――庄兵衛――佐左衛門――+==安右衛門
室赤堀氏  室福田氏 宝暦9   |  赤堀家嗣
           室高坂氏  |
                 +――傳十郎国弘――+――數右衛門
                    安永8    |  寛政6
                    室妹尾氏   |  室井口氏
                    室吉川氏   |
                    室永田氏   +――平蔵明正
                           |  天明5
                           |  室小橋
                           |
                           +――女 土居家嫁
                           |
                           +――三郎治貴賢――+――太郎平――――+――女 荻野家嫁
                              文政11   |  天保8    |
                              室延原氏   |  室村上氏   +――女 下山家嫁
                              室森本氏   |         |
                                     +――女 吉川家嫁 +――女 倉地平蔵妻
                                     |         |
                                     +――女 西脇家嫁 +――虎蔵貴朝
                                               |  安政5
                                               |  室大爺氏
                                               |
                                               +==大右衛門武郷――+
                                                  右手氏     |
                                                  明治27    |
                                                  室大爺氏    |
                                                  室杉原氏    |
                                                          |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――伊知 大爺家嫁

+――作太郎
|  室松原

+==常夫
|  相田氏
|  昭和17
|  室大爺氏
|  室栗田氏

+――女 右手嘉三郎妻

+――専治

国弘の跡は母が吉川氏の三郎治が相続、數右衛門(母妹尾氏)、平蔵明正(母妹尾氏)は分家しています。
虎蔵貴朝が若くして亡くなり、その妻茂登の入夫として大右衛門が迎えられますが、茂登も1男(作太郎)1女(伊知)をのこして早世してしまいます。この伊知が生んだ娘が常夫の妻となっているようです。

平蔵明正==平蔵親敬―――+――女 伊原季文妻
天明5   村上氏    |
小橋氏  弘化3    +==雄正親―――+――保太郎――+――貞雄
      室伊賀氏      伊原氏   |  大正7  |  昭和33
      室三倉田氏     明治31  |       |
                室大谷氏  +――女    +――女 治部守妻
                         伊原家嫁

明正の妻察通(宝暦4〜文化8)は和気郡香登本村の小橋市兵衛和登の第3女として生まれています。32歳で夫に死別したあと、書を好み笙を吹き琴を弾じた才女であり、とくにその和歌は有名です。明正の後は、察通の姪孝に油木村の村上信晴の子を婿養子に迎えて相続させています。
親敬の跡は娘登喜が上道郡西大寺町伊原嘉右衛門季文に嫁いで生まれた雄(禮助)が嗣いでいます。

国広妻妹尾氏(かぢ)が生んだ數右衛門の血を引く人々が気になるところですが、

元三郎――勘十郎 ――元四郎 
     室中嶋氏  明治27
           室吉森氏

という戸籍から追跡した系が數右衛門に繋がるようです。このうち、勘十郎は文政1年の生まれ、元四郎が亡くなった後、その妻は岡山市上之町に転籍しています。子は女子ばかり3人あったようです。


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