満谷家
賀陽郡門田村





常八春常――藤右衛門道常――+――藤右衛門常房――+――準一郎豊常 ――+――報一    ――+
安永7   天保11    |  嘉永3     |  明治38    |  大正9     |
室三宅氏  室氏     |  室渡邊氏    |  室貝原氏    |  室岡本氏    |
              |          |  室守屋氏    |          |
              +――女       |          +――女       |
              |  安昌妻    +――フサ      |  三宅恒三郎妻  |
              |          |  河田元太郎妻  |          |
              +――和助      |          +――英三郎     |
              |  家嗣     +――男       |  玉島分家    |
              |          |          |          |
              +――男       +――弥兵衛常安   +――国四郎     |
                            文久2        分家      |
                 室河田氏                          |
                                               |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――静子
|  守安恒太郎妻
|  佐藤静夫妻

+――蔵六

|  室

+――桂子

春常妻は嵯峨野村三宅氏です。
常房妻は「三手村渡邊氏女俗名菊安政二年歿五十三才(1855-53=1802)」となっています。三手村庄屋を勤めた門屋渡邉家を見ると、
十一代 恭平久富天保八年歿年六十七(1837-67=1770) 室宇多天保二年歿年五十七(1831-57=1774)
十二代 章助保富安政四年歿享年不明 室弘化三年歿享年不明
十三代 保太郎富有明治廿二年歿年六十(1889-60=1829) 室室千鶴大正五年歿年八十二
となっていますので、章助保富の姉妹が菊に相当する可能性があります。富有の嫡女も同音の幾久という名です。
三手渡邉家の分家では、東治郎是恒(嘉永四年歿年六十三 1851-63=1788)、官五郎康富(安政六年歿享年不明)が保富と同世代になりますから是恒、康富の姉妹という可能性もありますが、他の渡邉家は当時の縁組みでは考えにくいと思います。
「常山恵寂 
 常念妙照 文政七年七月十二日二十才三和村河田氏(1824-20=1804)」
という墓碑があり、常房の兄弟と考えました。
豊常妻時は日羽村貝原安行長女で、一男一女をもうけて二十二才で早世、その後西原村守屋藤太郎妹澤を後妻に迎えて二男子をもうけています。長男報一が家を継ぎ、次男英三郎は玉島で医業を始め、三男国四郎は東京へ出て洋画家になりました。


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