守屋家
窪屋郡三田村





守屋甲子夫氏著「ふるさと三田の今昔」の末尾に「守屋家分家系図」が載せられています。これと墓碑からの情報を併せると、次のようになります。

守屋馬古連公・・・守屋与九郎――与左衛門――蔵右衛門――三郎右衛門――又左衛門――助七――文五郎――門次郎――+
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――三郎右衛門征吉――文五郎――三郎右衛門征庇――+――十万蔵尚征 ――+――修太郎 ――甲子夫 ――+――禎之
                          |  明治44    |  昭和3   平成1   |  室
                 室三宅氏     |  室中村氏    |  室佐藤氏  室溝手氏  |
                          |          |              +――女
               ――加與       +――建蔵      +――女           |  徳永家嫁
                 別府源三郎妻   |  石川家嗣       橋本歳太郎妻      |
                          |                         +――女
                          +――しう                     |  河本家嫁
                          |  貝吹要次郎妻                 |
                          |                         +――弘之
                          +――勇                         室江田
                             阿部千代松妻

都窪郡誌102頁、三田村五人組頭の一覧表に天保に文五郎とあります。明治三年の宗門帳でみると、

一、十万蔵 印  歳二十一 五人組頭 十一月廿六日苗字御免被仰付候
  妹しう 印  同五
  妹ゆう 印  同三
  父*造 印  同五十
  母   印  同三十四
  祖母  印  同六十八
合六人内男弐人女四人 印 印 牛壱疋 印
とあります。

墓地は大西屋守屋家の南に隣接しています。先祖は物部の守屋、備中幸山合戦で敗れた武士が城主の石川氏を伴って落ち延びたと伝えています。


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