私の家系図調べ その九


清水弥右衛門は「福田新田之過去帳(=石原家の過去帳)」にも載っていましたので調査を始めた時点から気にしていました。

宝永三年十月 天譽一鑑居士、清水弥右衛門、行年八十九
元禄十年五月 心譽妙性信女、清水弥右衛門妻
宝永三年五月 梅窓智林大姉、石原茂一兵衛妻、行年三十一、清水弥右衛門孫

生坂清水家の仏壇の中にも、

円照義覚   享保八年 石原茂一兵衛義芬
梅窓知林各霊 宝永三年 妻清水氏

という小さな厨子に入れられた位牌があり、石原家の過去帳と一致します。石原氏の墓所には義覚居士、智林大姉の墓碑が寄り添うように立っています(下写真)。
茂利治貞本が遺した先祖記には、
「喜與が成長した後、石原茂一兵衛の次男同苗利八郎を養子聟に引き請け、喜與と夫婦にした」
と書かれています。

つまり、清水弥右衛門は、清水家の中興期に婿養子として入った利八郎母方曾祖父であることが判ったのです。

弥右衛門の子から石原家に伝えられた親類書が、石原小右衛門のもとに残されずに、実弟利八郎が養子に入った清水家(当時は間野姓)に伝えられているのは不思議です。利八郎を送るときに、石原家側を立派な家だと宣伝したかったのでしょうか、もしそうであるなら、その事が強調して伝えられますから、清水内膳に始まる系図を清水家の系図という口伝は生まれなかったはずです。

清水家が近江から来たというのは、口伝と郷土資料の記述(=間野尚明氏の由緒書)が一致していますし、清水内膳の一家も江州の出身です。そこで、弥右衛門の先祖と清水家の先祖はもともと近江で合流するのではないかと考えて、もう少し調べてみることにしました。

 続く戻る

ホームページへ