禰屋家
賀陽郡足守村





儀左衛門光忠――+――庸夫光正  ――+==藤之進
安政2     |  明治38    |  二階堂
室       |  室増田氏    |  明治29
室澤田氏    |          |
        +――女       +==庸次郎   ――+――謹一
           難波文兵衛妻  |  梶谷氏     |
                   |  昭和12    +――萬亀治
                   |  室庸夫長女   |  梶谷家嗣
                   |          |
                   +――けい      +――慎三
                   |  江口光三郎妻
                   |
                   +――菊
                   |  大賀忠潤妻
                   |
                   +==古木
                      難波氏
                      永守半七郎妻離縁
                      神崎金三郎妻

庸夫は天保八(1837)年生で母澤田氏です。光忠妻は文政十二(1829)年に死去して後妻(明治十六年歿)を迎えていますので、庸夫母は光忠後妻であることが判ります。庸夫の墓誌によると、禰屋家は代々足守藩に仕えたとあります。庸夫の俸給は百三十石で、幕末維新には官軍に参加しています。明治になると岡山県会議員、同議長など地方政治家として活躍しながら、旧足守藩の士族が養蚕、製糸事業で生活するのを資金援助する目的で作られた永禄社(後の足守銀行)の経営にも参加しています。
庸夫妻歌は同じ足守藩士増田儀兵衛の長女で、夫婦の間には三女のみあり、長女保(やす)が養子を迎えて相続、他の二人はそれぞれ嫁いでいます。
藤之進は二階堂民右衛門暁齊の三男(左馬七弟)で、三十八才の若さで亡くなり、中洲村酒津の梶谷文太郎弟(茂平次男)庸次郎が長女の婿養子として後入りしています。菊は津高郡一宮村一宮の大賀忠潤に嫁いでいます。


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