納所(中村)家
都宇郡早島村
本姓は中村で、治部少輔という人が朝廷から備前国上東郡厚村(上道郡阿津村=岡山市阿津?)5000石の所領を安堵されていました。戦乱の世になり、浦上宗景の旗下となり、各地を転戦するうち、今の京都市伏見区納所町で破傷風に罹り九死に一生を得たので、それによって納所と改称しました。
宇喜多家の勢力が大きくなると宇喜多家の旗下となり、戸川組で旗奉行、総郡代を勤め1500石を与えられていました。小田原攻めで戦功があり、秀吉から感状、更に500石を加増されました。
関ヶ原の戦いの後は浪人して戸川家食客となり、戸川肥後守から50石分の所領を早島村金田に与えられて永禄3年に早島に移住、代官役を勤めました。
戸川逵安3男内蔵助安尤が寛永5年2月に3400石で早島を分知することになったので、客分家老となりました。
なお、早島移住の当時は法華寺がなかったので、御野郡堂丸から哲道院日唱上人を招いて蓮華庵(後の妙法寺)を創建しています。日唱は後に帯江妙忍寺の開祖となっています。
倉敷市史に納所・中村家の系図が載せられています。これはたいへん難解な系図で、おそらく継ぎ接ぎで書き足された系図をあまり考証せずに印刷原稿にしたか、紙が傷んでバラバラになった系図をつなぎ合わせながら印刷原稿にしたものと思います。
納所 中村 治部少輔――蔵人道教――弥右衛門――弥右衛門行悦――+――八郎右衛門秀正――+――女 中島行可妻 永禄12 室中村氏 寛永14 | 慶安4 | 室国富氏 室宇喜多氏 | 室寺尾氏 +――女 中島行順妻 | 室国富氏 | | +――女 江田惣右衛門妻 +――女 中島勝行妻 | +――八郎右衛門秀延 ―――――――+ | 延宝4 | | | +――忠右衛門常誠 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――治部臣義陳==八郎右衛門良邑――治部進秀親――宇兵衛良秋――八郎右衛門秀修 寛保2 小早川氏 寛延4 安永5 文政10 室山田氏 宝暦2 室義陳娘 室香西氏
中島行可、中島行順は共に諱貞行、通称はそれぞれ助右衛門、三郎兵衛。紛らわしいのでここでは戒名を宛てました。
忠右衛門常誠――和兵衛秀雄――忠太夫秀賢==和兵衛秀智――+――和兵秀実 ――+――観太郎秀覧――――――――――+ 正徳1 明和2 安永2 服部氏 | 嘉永1 | 天保14 | 室船戸氏 室亀山氏 室沼本氏 寛政9 | 室沼本氏 | | 室内田氏 室秀賢娘 | +==光三郎元亮 | +――重兵衛忠利 福武氏 | 安政3 | 室秀実娘 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――勇秀誠 ――+――浩秀義 ――+――絢子 安原元蔵妻 明治13 | 昭和51 | 室山本氏 | 室寺尾氏 +――明 | 平成6 | 室丸山氏 | +――満寿子 | 高戸勇妻 | +――寿子 | 大宮粂一妻 | +――女 | 大野祐信妻 | +――昇 ――+――健 昭和24 | 室玉井氏 +――富士子 室大野氏 | +――裕子 | +――多恵子 | +――勝子
重兵衛忠利は江戸で中小姓として仕官し、没後は江戸目黒最上寺に葬られています。
重兵衛忠利――+――重兵衛利忠――+――永次郎――+――栄 嘉永1 | 明治6 | 大正3 | 室大森氏 | 室和気氏 | +――萬吉 | | | +――鉄吉道賢 | +――重太郎 | | | +――愛 | | | +――房 | | | +――辰雄 | | | +――歳巳 | | | +――五郎 | | | +――信 | +――弁次郎 ――+――久治 昭和11 | 室鈴木氏 +――重雄 | 室林氏 | +――幸雄 室後藤氏
鉄吉道賢は絶家した宗家の中村姓を名乗っています。
鉄吉道賢――+――経太郎 明治26 | 昭和14 室中西氏 | +――道三郎 ――+――道夫 室袖本氏 | 室菊池氏 +――静子 岡部直巳妻 | +――照代 石田制一妻 | +――和代 富監兼太郎妻 | +――偏代 | +――経紀
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