阪本家・茜屋
大坂東区道修町堺筋角
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清兵衛 ――+――清兵衛 ――+――清雄 ――+――Y子 明治3 | 大正6 | | 室 | 室藤井氏 | 室 | 室 | | +――R子 +――善慶 +――富美子 | | 明治12 間野了妻 | | +――S子 +――清香 | 明治12 | +――秀 | 明治11 | +――彌三郎 | 真田 | +――ハル | 間野順三郎妻 | +――太三吉 文久2
清兵衛の父清兵衛(初代)は岐阜県養老郡萩原荘の桐山家の総本家宗兵衛の二男です。桐山姓は秀吉より本領安堵状や五三桐の家紋と共に与えられた姓です。大坂に出て、郷里から薬草を送らせて、大坂東区道修町堺筋角に薬種問屋を構え、彦根伊井藩に薬を納めていました。
二代目清兵衛(嘉永三年生)の代に安土町に移り、桐山を阪本に改姓しました。清兵衛は明治二十年頃からヨード剤研究に没頭し、大阪市東淀川区十三町木川に工場も造り、一時は産を成しましたが、その後商売は上手くいかず大阪市北区紅梅町に転居しました。その間、神奈川県葉山の鈴木三郎助のヨード製造指導工場建設に助力しました。鈴木氏は後に池田菊苗の発明した調味料グルタミン酸ソーダ「味の素」製造を一手に引き受けて産をなしました(「過ぎこしやそとせ 藤井禄三翁傘寿記念(昭和四十五年一月発刊)」より)。
超心寺所蔵間野家過去帳より、
恵光妙喜信女、明治十一年八月十九日 俗名秀女 春の姉(阪本家の浄土真宗戒名でないので他家に嫁いだ人と思われる)
俗名真田彌三郎、間野はる実兄、廿六日
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