佐野家
都宇郡妹尾村
紋佐藤や所司家の墓地に近いので、横の道から時々覗いていました。刻まれた姓が佐藤であったり佐野であったりするので気になっていましたが、佐藤三郎兵衛家の本家という佐藤T氏から、「遠祖は鎌倉武士の佐野源左衛門常世です」とお聞きしたので一通り碑文を確認に行きました。
佐藤 佐野改姓 信義 ――信保 ――信守 ==千代造信教――+――弥一郎信敏==算信輔 ――束 安永7 享和3 安政3 熊代氏 | 明治44 岩月氏 室 室 室 明治22 | 室 明治29 室佐藤氏 | 室信敏娘 室丸川氏 | 室三宅氏? +――専吉 丸川家嗣
俗名は、通称を省略して諱のみ彫られているものが多いのですが、やはり「信」を通字にしていることが判ります。信教は熊代與五郎二男、妻は同姓磯右衛門信頼女、継室は撫川藩丸川潤治妹です。
岡山県郡治誌によると、都宇郡第五部戸長役場 位置大福村
大福村、古新田村、山田村、妹尾村
明治十六年二月十六日申付
同十六年六月二十九日依願免官 戸長 佐野弥一郎
明治二十四年四月岡山県地主録に
都宇郡大福村
佐野弥一郎 四十一円二十二銭八厘
とあり、信敏は大福村に居住して、同村、古新田村、山田村、妹尾村の戸長を勤めていたことが判っています。「きびのさと」に、大福村佐野仙右衛門の次男専吉(安政二年生)が庭瀬藩丸川清之進女津弥の婿養子となったことが記されています。仙右衛門は信教の通称と思われます。庭瀬藩岩月氏の系譜に、「半弥清武の子、算(かずえ) 叔父上原操の養子となり離縁後大福村佐野弥一郎の養子となる」とあります。
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