家系図の調べ方



家系図の調べ方を解説した書籍は日本にもあり、私も何冊か読んでみました。しかし、コンピュサーブの genealogy forum にあるライブラリに登録されていた SEARCHING YOUR FAMILY TREE という文章は非常に良く書かれていると感心しました。それで、この日本版を作ってみようと思い立って書いたのが以下の文です。

人生にはタイムリミットがあるということを常に念頭に置いて何事もやって欲しいと思います。
たとえば、家系図の調査でもっともたいせつな墓地の調査は冬がいちばんやりやすいのですが、冬の間は日が短くてあっという間に日が暮れてしまいます。落ちて行く日の光を気にしながら墓碑文を読んでいると、時間のたいせつさが身にしみて解ります。



基本となる資料(石との対話)
関係諸家の系譜を調べる(急がば回れ)
系図を調べる上の心構え

調査に役立つアドバイス

基本となる資料
(石との対話)

・墓碑

墓碑の調査は先祖調査の原点であり基本です。他の多くの資料に比べると最も遺りやすいものだからです。
親族の年長者に家の歴史について尋ねても時にはうるさがられたりすることもあります。どこの家でも表沙汰にしたくない様な歴史の一つ二つあるもので、そういうことに触れることを禁忌と考えているお年寄りも居らっしゃるのです。しかし、熱心にお墓を調べ、その結果を提示しながらアドバイスを請うとそういうお年寄りの態度も違ってくるはずです。お墓に真面目に向かい合うということは、人を厳粛な気分にさせてくれるのです。
触れられたくない家の歴史(傷口)に対する思いやりの気持ちは、一般社会での他人に対すると同様、家系図調べには不可欠です。

墓地や旧家を訪ねて手がかりを求めるため、脚を使うことはとてもたいせつです。電話や手紙で聞けないことも実際に会ってみると判ることがあります。
窓に黒いフィルムを張ったような車に乗っている人はまず系図調べなどに関心を持たないかも知れませんが、不案内な土地をうまく歩き回るには土地の人に怪しまれない服装、言葉遣いにも気を使わなければいけません。
帽子は頭を保護する役目がありますが、目を隠すのにも効果的で、濃いサングラスをかけていると怪しまれるように、帽子を被ったまま初対面の人に挨拶するのはたいへん失礼ですし、自分の評価を下げるだけです。時代劇を見ると、座敷の中で頭巾を被ったまま密談しているのはたいてい悪者です。
横道に逸れますが、我々が教育を受けた頃には室内では帽子を脱ぐように指導されました。ところが、近ごろは部屋の中で平気で帽子を被っています。小学校の運動会で国旗が揚がる時に脱帽する人も減っています。国旗掲揚や君が代斉唱を云う前に、社会生活を円滑に進めるための最低限の教育をすべきです。

墓参りの時に何気なく眺めている墓碑にも非常に多くの情報が隠されていることがあります。風化して読み難くなった文字も何度も繰り返し眺めていると読めることがあります。読みにくい文字は知っているいろんな文字を当てはめながら考えるのです。
時折、墨が塗られたり、チョークの粉が付着している墓碑を見かけますが、拓本を採るよりも光線の条件、見る側の気分が違う条件で、何度もお参りして繰り返して眺める方が正確です。これは、古文書の解読の場合と似ています。私がお会いした人の中に、「石とじっくり対話する」と云われた方がありましたが、墓碑文解読のポイントを一言で表した名文句だと思います。

裏技をいくつかご紹介します。むかしの或る郷土史家は、夜に提灯の明かりで碑文を読んだという記録を遺しています。現代では懐中電灯でしょうか。昼間でも、黒い暗幕を掛けてお墓と同衾して碑文を読んでいた熱心な人も知っています。日光が当たっている面の文字が読みやすいとき、その反対の日陰の文字は読みにくいです。このようなときには、アクリルミラー板を使って光の向きを変えるとずいぶん見やすくなります。
塀の中に閉じこめられた碑文を拾うには、双眼鏡(ラ8くらい)が意外に役立ちます。

墓地の地積図、所有者を登記簿で確認することも貴重な情報にめぐり会う糸口になります。登記簿は法務局にありますが、閲覧のみでもかなりなお金を請求されますから、あらかじめ住宅地図等で場所を確認して行く必要があります。

墓地全体の形や、他の家の墓地との位置関係は重要です。特に、同姓の墓地が近くにある場合、注意が必要です。寺院や寺跡でもない共同墓地では、本家ほど山の高いところにお墓があるはずですが、寺の裏にある共同墓地では本堂に近い位置(低い方)に本家の墓地があることが多いようです。方位で云うと、お日様の昇る東を上(かみ)、西を下(しも)と考えますので、東側が本家墓地です。河口の埋め立て地などでは、上流方向を上としているところもあり、東西逆のこともあります。墓地は普通四角いものです。古い墓地でも三角形であったりすることはまずないです。三角墓地はなぜ三角かと調べてみると意外な情報が得られることがあります。例えば、もともと四角な墓地の角が、山崩れや崖崩れで、埋もれたり削られたりしていることがあります。
墓地内の墓碑配列図を描いて下さい。墓碑の並び順もそれなりに意味のあるものです。旧家の墓地に行くと、ひじょうに多くの墓碑が林立しているものがあります。こういう墓碑の多いこと(=墓分限者)を、家の歴史が古いことの証拠のように云って自慢する年寄りが居ますが、江戸時代初期からの墓碑があるとしても、夫婦を1つの墓碑に合葬していれば、十数個の墓碑があれば充分なのです。戦国時代の墓碑は今風のイメージの墓碑ではありませんし、こんな時代のものを遺しているような家はほとんどないでしょう。三十も四十もの墓碑がある墓地は、落ち着いてみると数軒分の墓碑が一緒に祀られていることがわかります。本家の他に途中で絶えた何軒かの分家の墓が混ざっているわけです。こういうお墓では、どれもこれもお祀りするのは大変ですから、それぞれの株家が自分の家の直系先祖の墓に印を付けていることが多いようです。その印は線香立てであったり、花立てであったりします。落ち着いてそういう目印を見つけて整理しながら碑文をメモするのがコツです。

墓碑の写真撮影も行って下さい。面倒でも、三脚を一つ持っておいた方が良いです。墓地は日陰にあることが多く、採光が充分でないのと、彫られた文字をくっきり写したい場合には、出来るだけ絞りを絞り込んで(F値で11とか13)、露出時間を長めに取る方が良いからです。決してフラッシュをたかないで下さい。出来上がった写真に真っ白な墓碑が写っているのを見てがっかりします。デジカメは手ぶれ防止機構がある方が良いでしょうが、ない場合は脇を固めてしっかりとカメラを保持し、同一アングルで数枚撮っておくとそのうち一枚くらいはまともに撮れているでしょう。
他家の墓地撮影は掃除が行われた後、彼岸や盆の後、正月などに行うのが親切でしょう。

余談ですが、いくら高価で美しい花を供えても、夏などはたった一日で枯れてしまいます。折角お参りしても、枯れた花をそのままにしておくので、一年の大半、枯れ草で飾られたお墓が多くなるようです。

墓碑に塗られた墨はなかなか落ちにくいものですが、チョークは一雨降れば流されます。急いで碑文を読みたいときにはチョークはけっこう重宝です。色は白でも赤でも、何でも構いませんが、大切なのはチョークよりも黒板拭きです。直接、墓碑にチョークを塗るよりも、一旦黒板拭きに塗りつけて、黒板拭きで碑文の上から軽くたたいてやると文字がくっきり浮かび上がってきます。
出来れば、墓碑を汚さない方がよいですが、日陰で光線による陰影を利用して文字が読めない時、極端に彫りの浅い碑文などの判読にはチョークの粉を塗りつけるのもやむを得ないかも知れません。最近はLEDのライトが明るいので役に立つことがあります。
拓本を採るときに石碑の表面を濡らすことがありますが、水に濡れた碑文ほど読みにくいものはありません。雨の日に碑文が読めるようになれば上級者です。

墓碑に彫られた文字はすべて貴重な情報です。続柄が彫られていて無視する人はいないと思いますが、俗名と死歿年だけを控えるのではいけません。とくに戒名はとても重要な情報を持っています。夫婦の戒名には同じ文字がいくつか使われます。例えば、「圓岳院浄心信士」と「圓浄院妙心信女」は夫婦で、「圓」の文字が共通です。2つの墓碑の位置関係も参考になります。夫婦の墓碑は近いところに建てられます。「妙」という文字は女性の戒名に多くみられます。歿年が彫られているのに、享年がない場合、その人の生存年代の計算が出来ませんが、配偶者や親、子などの近親者の生存年代から類推することが出来ます。続柄を調べるのとそれぞれの生存年代の割り出しは並行して進められることが多いと思います。同じ家では戒名に同じ文字を反復して使っていることも多いようです。これは檀那寺の僧が寺の過去帳に記されたその家のご先祖の戒名を参考にするからで、似たような戒名が付くのが当たり前なのです。
なお、戒名というのは信士、信女(居士、大姉)の直前の二文字だけで、その前の二文字は道号といって、仏教を習得した人に、生前の徳を讃えて付けられたのがはじまりだそうです。ですから、たとえば観光幽消居士だと、観光は道号、幽消が戒名になります。

小さな子供の墓も時にいっぱい記されているものがあります。そういう墓は、長寿で成功した人の墓誌以上に貴重な家系情報を持っていることがあります。お墓は、実は故人のためのものではなくて、建設者の思いがいっぱい込められたものなのです。

墓碑に彫られている年は、たとえば「寛政九丁巳閏七月念二日」とあれば寛政九年ということがすぐ判りますが、横着をせずに「丁巳」という干支もメモして置いた方が間違いがなくてよいです。
「三」と「五」は判読に苦しむことがありますが、「宝永?戊?」或いは「宝??戊?」だけ拾うことが出来れば、宝永五年=1708年であることが判ります。碑文が彫られている墓碑で、「宝(寶)」の年号は、宝永と宝暦だけで、宝暦の戊年は八年です。「三」と「五」は似ていますが「八」は明らかに形で区別できます。SEARCHING YOUR FAMILY TREE という文章にも、「4が1や7と間違いやすいこと、3と8、8と6、5と3が間違いやすいので注意するように」という数字判読上の注意点が記されています。

もちろん、墓石の古さも大いに判読の参考になります。「和」の付く元号は、元和、天和、明和、享和、昭和、このうち昭和が読めないことはありませんし、元和の墓碑などまずありません。あればそれに続く寛永、寛文年代の墓碑があって墓地全体の様相がずいぶん違ってきます。お墓の並び具合(雰囲気)を見て、元和の墓など立っていないことを直感すれば(この直感はある程度トレーニングすれば自然と身に付きます)、「天」と「明」、「享」の見間違いさえしなければ(この三文字はそれぞれコピーを重ねて文字を潰してもかなりひどくなるまで区別できます)、正確に年が拾い出せるわけです。「永」が付くのは、寛永、宝永、安永、嘉永。「元」で始まるのは元和、元禄、元文(元和は外しても良いでしょう)。「文」で始まるのは、文化、文政、文久。繰り返し碑文を読んでいるとこういう判断を瞬時に行う頭の回路が発達しますので、少々摩耗したり苔や泥が邪魔した墓碑でもすらすら読めるようになります。
閏は旧暦の「うるう月」のことで、寛政九年には、ただの七月と閏の七月の二つがあったということです。閏を「壬」の文字で省略していることもあります。念二日というのは少し難しいですが、これは二十二日、念=二十です。他にも「初二日」「上浣二日」などの書き方もあります。月の呼び名も今ではなじみのないものもあります(参考)。たとえば、臘月というのは十二月のことです。

墓地調査に行くときには、干支付きの西暦と元号対照表を縮小コピーでもして持って行くのがよいと思います。私は専用のメモ帳(綴じ目が簡単にバラバラにならないような)に、縮小コピーした西暦・元号対照表を貼り付けて持っていきます。
墓碑に彫られる文字は崩し文字だったり変わった書体で読みにくいこともあります。チョークの粉を塗りつけて、ビデオやデジタルカメラで撮影して持ち帰りゆっくり眺めるのも良いかも知れません。上記のように、同じ家では戒名に同じ文字を使うことも多いので、判らないものは飛ばして判るものから読みとることで解決する場合も多いと思います。
それから、古文書の解読でもお目にかかるのでやっかいなものに異体字というのがあります。古文書解読字典の末に纏めてありますのでコピーをして持ち歩くのも良いでしょう。

私は平成元年から調査を始めましたので、もう三十年近くお墓巡りをしています。最近は、再確認のために脚を運ぶこともあります。
そうすると、墓碑が一ヶ所に寄せられて側面の文字が読めなくなっていたり、石塔がすべて撤去されて新しい供養塔が建てられていたりすることがあります。墓終いの相談を受けることもあると、「出来れば少し間を開けて寄せておいた方が後々碑文を確認できるので良いです」と身勝手な意見をさせてもらうこともあります。

郷里を離れて都会で暮らす人がふえると、郷里の先祖墓の管理が難しくなります。中には都市部近郊に新しい墓地を求めることさえあります。
夫婦別姓の議論、事実婚と、結婚も昔のような家と家の結びつきを意識することが少なくなりました。娘に婿養子を迎えて家名を存続させようということも少なくなりました。家を絶やさない、お墓守りをする子孫を残すというのは、それ自体が目的ではなく、所有財産を守ることが目的です。財産相続に大きな税がかかりますし、地域社会の変化は特定の商業活動も不安定にしていきます。老舗という看板だけでは生き残れなくなっています、看板が象徴する信用も価値がなくなってきています。身も蓋もない言い方をすれば、損得勘定で守られてきた「家」は崩壊しつつあります。

明らかに崩壊過程にある「家」を守り抜こうとする人もいます。思想信条は自由ですから否定はしませんが、どんな行為も周りの迷惑になれば社会的に制裁を受けるように、たとえ身内であっても家を守るために犠牲者が出るようなことがあってはなりません。
戦前の旧民法では家の存続を保護するための条項がありました。国民を家の単位でまず結束させてまとめ上げようとしたもので、個を集団に束ねて同一の目標に向かわせるために好都合でした。同一の目標というのは富国強兵でした。

「断捨離」という言葉が、人生の最後に向かって持ち物を整理しようと声高に奨めています。これは誰かの発明でも一時の流行でもなく、普遍的に人が抱く気持ちではないかと思います。
しかし、一方ではこの世に生きた証を遺したいと思うので、お墓を建てたい、遺したいという気持ちは捨て難いようです。
先祖が建てた累代墓があればそこに入ってしまおうと思うでしょうが、分家した初代、二代で、これからお墓を建てようという人にとっては、子孫が祭祀を引き継いでくれるかどうか、子孫の負担にならないだろうかと考えて、お墓を持つことさえ躊躇してしまうようになっています。

故人の生涯を偲ぶことが出来るのは、せいぜい孫達までです。子どもがいない人は積極的に墓を遺そうとは思わないのではないでしょうか。
たくさんの墓石を並べている旧家であっても、気持ちを込めて香花を手向ける墓は両親、祖父母などの近親者、いくつかに限られています。古い墓石は誰が埋葬されているのか判らない、気にも留めずに機械的に手を合わせて廻るだけです。
大雑把に言うと、死後百年ほどしたら誰も故人のことを知る人はいないので、建てられた墓石はただの歴史遺産です。

子孫が世界中の何処へ行っても先祖を思うことが出来、下流を流れる子孫が上流にいた先祖を俯瞰して偲ぶことが出来るには、やはり我が家に拘らない親戚諸家全体の関係が見渡せる家系譜が必要ではないかと思います。

 ・過去帳、位牌

「家系図とか先祖のことを記した書類はないでしょうか?」
と尋ねて、
「うちにはないです」
と云われたら、
「仏壇に置いて拝む過去帳はないでしょうか?」
と云うと、そんなものどうするの・・・という困った顔をして出してこられることがよくあります。
先祖をたどる貴重な書類という認識がたいへん薄いようです。

自分の家、又は本家に過去帳が遺っていれば、先祖の調査がたいへん楽になります。これは年代順ではなく日順に書かれていますから注意しましょう。続柄を書いていないものもありますから、位牌や墓碑と照合してみる必要があります。
先祖調査の醍醐味は、あらゆる情報を総合的に分析して答えを導くということでしょう。答えが出たときには、学生時代に数学の難問が解けた時と同じ様なすがすがしさを味わうことが出来るでしょう。テレビの推理ドラマのファンは皆、系図調査が出来ると思います。
葬式の時の主席者や香典を記した葬式帳には当時の親族がほとんど漏れなく書いてありますから貴重な資料となります。他の古文書類でも同様に云えることですが、人名には当て字が使われていることが多いので注意が必要です。たとえば、栄蔵、英造、英三、英蔵などはみな「えいぞう」と読みますが、同一人物であることがあります。三郎右衛門を三良右衛門と書いていることもあります。

過去帳は寺にあるから見せて貰えばよいとか、古い位牌は寺に預けてあるという人が多いようです。しかし、寺の過去帳は檀家の仏様を、家毎に分けて記したものではなくて、日毎に記してあります。例えば、慶應二年四月五日に死去した田中さんと、昭和五十年六月五日に死去した佐藤さんは同じグループに入れられています。江戸時代の仏様には姓が記されていないということもよくあります。従って、膨大な仏様の中から自分の家の先祖だけを抽出するのはひじょうに難しい作業ですし、不可能という事もありえます。
姓が書いてる仏様とそうでないのは檀家を差別しているわけですが、そのような歴史を見せたくないと思う住職もいるでしょう。
寺の過去帳が焼けてしまってない、ということをよく聞きますが、まともなお寺だったら、たいていは過去帳が遺ってるはずです。焼けたということにすれば、二度とやってこないだろうということで、そう云って逃げる住職もいるようです。何でも十把一絡げにして話をするのは良くないと思いますが、私が、あちこちのお寺にアプローチした経験からいうと、ほぼ八割方のご住職は話せば解るという方でした。ただ、残りの二割くらいは取り付く島もないような方で、こういう住職に当たると家系図調べの難しさを思い知らされることになります。何をやっていても挫折は付き物ですが、その挫折をバネにして次に進もうとする力も年と共に衰えますから、やはり家系図調べも若いうちからやっていただきたいと思います。
きちんとしたお寺では、住職の交代時には必ず新しい過去帳を作って、古い過去帳を蔵にしまうのです。本堂が火事でも蔵の過去帳は遺っているのです。
一つの寺がかかえる檀家の数は結構多いので、寺側は預かった位牌は供養の後、順次焼却処分するのが普通です。自分の家の系譜情報は寺が管理してくれているから心配はないというのは大間違いです。役所でさえも、きちんと子孫である旨を書類で提示しても、個人の系譜調査に協力してくれない時代がいつおとづれるかも知れません。現実に、八十年という法律で定められた保管期間を過ぎた戸籍は次々と消却されているようです。
自分の家の系譜は自分たちで整理して管理して行かないと何も遺らないと云うことをよく覚えておいて下さい。我が家には系図があると云って自慢する人がいますが、系図は誰かがいつの時代かに作ったものです。それを書き継いで行かなければやがては訳の解らない巻物になってしまいます。系図というのは先祖を系統立てて整理しようと云う意図がないと出来ません。ところが、家の過去帳は家族、又は親族の誰かが亡くなると、その都度日毎に区分けされて記されてますから、これを墓碑や他の資料と丹念に照合して行けば、必ず系図が出来上がるはずです。系図など作る気も興味もないといわれる方でも、先祖のため、子孫のために、過去帳だけはきちんと書いて遺されることをお勧めします。

 ・戒名について

今の時代は、誰でも院居士に院大姉ですが、江戸時代は四文字の信士、信女の戒名を貰うのもたいへんでした。居士、信士などの直前の二文字が戒名です。その前の二文字は道号といい、浄土真宗では「釋」の一文字が使われます。浄土宗では「譽」の文字がよく使われます。日蓮宗では戒名の後に「日〜」という文字が入ることがあります。「妙」とか「室」は女性によく使われる文字です。戒名の値打ちは字数だけではなくて、使われている文字によって決まり、代々受け継がれていることが多いので、先祖を探すヒントになります。墓碑の上に彫られた難しい文字は梵字と云われますが、真言宗に多いようです。曹洞宗などの禅宗では「○」が彫られています。
俗世間には同姓同名という人はけっこう多いのですが、戒名の四文字が一致する人もあるので面白いと思います。

 ・除籍謄本

戸籍謄本は自分から先祖へつながる道の入り口を見せてくれます。戸籍謄本には、戸主を中心とした戸籍構成員が戸主との続柄と共に順次記入されていますが、子が親から独立すると新しい戸籍の編製が行われます。また、戸主の死亡により書き換えられた古い謄本は除籍謄本として纏めて管理されます。

戸籍謄本によって先祖をたどるには次のようにします。先ず、本籍地のある役所で自分の名前が記入されている戸籍謄本をとり、順次その前々の戸籍謄本を請求します。これは、郵送でも応じて貰えます。系図の調査をしたい旨、請求目的と送付先を書いて、署名捺印した書類に、請求に要する費用に見合う郵便為替を添えて申し込めば良いと思います。

日本では、明治の壬申年(=五年)に明治政府による最初の戸籍が編製されました(壬申戸籍)。これには、江戸時代の身分が記されていますので、現在では一般に公開されることはありません。ですから、本籍地の役場で請求できる最も古い除籍にも前戸主の名が記されているのです。
いまでは、八十年以前の戸籍は廃棄してよいことになっていますが、実際に廃棄をしている自治体がどれくらいあるのか疑問です。戸籍というデータベースは家毎に整理していて始めて役に立つ情報なので、年ごとに仕分けして別に保管したり、廃棄したりするには想像を絶する手間が掛かるはずです。

そもそも「八十年以前の戸籍は廃棄してよい」などという法律がいつどういう経緯で制定されたのか、事情を知っている人は少ないのではないでしょうか。
先年、電気用品安全法(通称PSE法)が制定される際に大騒ぎになりました。ときに官僚主導でわけのわからない法律が制定されるようですから困った国です。
米国では古い除籍は公文書館に保管されて閲覧が可能なようです。日本でも江戸時代の戸籍である宗門人別帳が公文書館や図書館で閲覧可能なことがありますが、除籍の歴史資料としての価値も認識すべきではないでしょうか。
江戸時代の身分が書いてあるので閲覧不可ならば、宗門人別帳の公開も出来ないはずです。
私には役人の仕事を軽減させるための口実作りのように思えます。

最も古い除籍には本籍地の旧地名が記されていたり、戸主の欄に当時の戸主の印鑑が押印されているはずです。これは、次に述べる江戸時代の古文書に押された印鑑と共に、けっこう重要な情報を提供していることがあります。印章の文字は篆刻といって、独特ですが、印章屋の老主人に頼めばたいていの文字は教えて貰えるはずです。

 ・古文書

各地の図書館や古文書館には江戸時代の戸籍(宗門帳、百姓帳、藩の侍帳など)が保管されていることがあります。宗門帳はその村の名主(庄屋)や組頭を勤めた旧家に遺っていることもあります。また、そういう旧家から譲りうけて村の郷土史家などの手元、或いはその子孫が保管されている場合もあり、村の古老からいろいろ情報を集めながら、そういう家を探し出すことが必要です。
古文書の解読のコツは何度も繰り返し眺めることです。古文書字典を何冊か購入して手元に置いておくことをお勧めします。文字を読むのではありません。絵合わせだと思って下さい。でも、前後の文意から不明の文字が読めることもありますから、考えることもたいせつです。
図書館の司書の方の中には古文書を読まれる方がいますから、時には教えて頂くのもよいでしょう。但し、学校の先生に質問するのと同じように、自分であらかじめ考えてからにして下さい。

 ・家紋、屋号、宗派

家紋でルーツが判るという広告を出している本がありますが、家紋も先祖を探る重要情報の一つです。ただ、家紋は江戸時代以降、いろいろなものが創造されている場合もあり、先祖を探る情報として役立つのは戦国時代以前から用いられていたと思われる家紋ですから注意して下さい。また、いくつもの家紋を使い分けている家もあり、そういう場合にはそれぞれの家紋について由来を調べることも大切です。

一般に、装飾性に富んだ家紋は戦場で敵味方をはっきりさせる旗にするのは不向きだろうと思いますから、古くからある家紋ほどシンプルであるはずです。

屋号は、商売をしている家ではお馴染みのものかも知れませんが、商売とは無関係な家にも屋号が伝えられていることがあります。また、近江屋、信濃屋など、先祖の出身地を屋号にしたものがありますから、先祖調査の貴重な情報になります。

宗派もその家の歴史を探る参考になることがあります。真言宗は平安時代、日蓮宗は鎌倉時代に興った宗教です。歴史の古い家は真言宗であることが多いかも知れませんが、逆に真言宗だからといって必ずしも歴史がふるい家とはいえないのが難しいです。
関係諸家の
系譜を調べる(急がば回れの原則)  目次に戻る
墓碑から始まって戸籍、過去帳、古文書と一通りあたってみたけれど、どうも大した資料もない。やはり、素人の手では、まともな系図など出来ない。とおっしゃる方は、この項を良く読んでもう少しじっくり調べてみて下さい。

 ・株家

墓碑調査の次に重要なものがこの株家(かぶうち)調査です。先祖が同じですから、自分の家にたいした資料が無い場合でも、株家の一つに系図や過去帳がそっくり遺っているということも期待できます。
同じ姓の場合が多いですが、分家したときに母方の姓などを引き継いでいる事もありますので、姓が違っても昔からの株家と聞いている家は調査対象に入れないといけません。株家調査でも、別の項目に取り上げた墓碑や家紋や屋号について注意して調べる必要があることは云うまでもありません。
株家調査でだいじなことは、本家分家の争いにならないように気を付けることです。本家というのは本の綴じ目のようなものです。不幸にして本家が絶えたり、ある時代にとても分家に頭の上がらないような世話になった場合、株家同士が、利害や好き嫌いに基づいて色分けをはじめます。分家は、別家、新宅、新屋、など地方により時代によっていろんな呼び方をするようですが、商家では、暖簾分けをした家(血縁が無くても)を別家と呼ぶこともあるようです。

 ・直系先祖以外のふるい親族の家の系図

系図を調べるといっても、自分の家の直系先祖だけ調べても面白くありません。また、昔は法事の席などを利用して親族の結婚適齢期の男女を紹介し合い、親類同士が縁戚関係を結んでいくことが多かったので、古い親戚関係の家の系図を調べるうちに直系先祖に関する重要な情報が得られることがあります。

三十代ほどさかのぼると現在の日本の人口を上回るという話を冒頭に書きましたが、昔にさかのぼるほど人口は少なくなっているわけですから、現実に、親族、特にいとこ結婚などはひじょうに多いことが理解できるはずです。
家系図はよく検討する事がたいせつです。なにごとも自分の目で見、自分の頭で咀嚼して納得することがたいせつです。むかしの人が作った家系図には間違いもあります。系図師に依頼して作ったような、表装の立派なものほど疑わしいものが多いようです。

よくある間違いは次のようにして起きます。
一般に日本の巻物系図というのは、たとえば次のような形で記されます。

 権兵衛―――――――――――――――――――――――+
                           |
 +―――――――――――――――――――――――――+
 |
 +―弥太郎―――――――――――――――――――――+
 |                         |
 | +―――――――――――――――――――――――+
 | |
 | +―孫太郎
 | |
 | +―孫次郎
 |
 +―権次郎

これを筆写を繰り返したり、古くなって紙が傷んで、縦や横の線の一部が不明になると、弥太郎、孫太郎、孫次郎、権次郎が兄弟になってしまったり、孫次郎が権兵衛の曾孫になってしまったりするわけです。四百年ほどの間に、二十数代もの先祖が並んだりしている系図の種明かしは後者のようになると思います。各代の生存年代(生歿年、或いは歿年と享年)や母親の記載があれば誤解を防ぐことが出来るわけですが、そういう配慮を欠くとほとんど価値のない紙切れになってしまう運命にあります。
私が繰り返し、「自分の家の系図だけ調べていたのではダメ!」と云うのはこういう問題もあるからなのです。

系図を調べる
上の心構え  目次に戻る

家系図の調査を進めると多くの方と知り合いになります。先祖の調査のためにいろいろと古い縁戚関係の家の子孫に問い合わせをしたいが、その人達が今どんな生活をしていて、どんなものの考え方の人間なのかが判らないから不安だと言われる方も多いと思います。しかし、案ずるより産むが易しで、問い合わせをしてみる方が良いと思います。

このホームページを開設した意図の項目で述べましたが、先祖調査は年寄りの暇つぶしでやると上手く行かないというのは、こんなことにも関係があるのです。人間は年取るに連れて慎重になります。これはある意味では良いことですが、積極的に対応しなければならない仕事には不向きです。

偉そうなことを云いますが、こんな私もいろんな失敗も経験しました。押し売りに近いまねをされたこともあります。一番困ったのが新興宗教に誘われたことです。私は元々不信心者ですので、これには大いに弱りました。訪ねて来られた方を帰してから、後で礼を尽くした手紙を書いて断りました。確かに、いろんな考え方をされている人がいますから注意は必要です。でも、こんなことは日常生活どこでも必要ではないでしょうか。

とはいっても、こういう調査を続けていて厭な思いを味わうことよりも、始めて出会った人からうけた温かい親切なご指導を戴くことのほうが遥かに多いのです。手紙を書いたら必ず返事を貰えるとは限りません。しかし、見ず知らずの人から丁寧な一通の返事を戴いたときの喜びは、他の十通の手紙が無視された時の悔しさをきれいに消し去ってくれます。何事をするにも熱しやすく冷めやすいというのは私の本性ですが、これまで延々と続けて来られたのは、その時々の人との出会いによるものでした。

人気のない墓地を歩き回るのは気味の悪いことかも知れません。お化けが出てくるかも知れませんから・・・笑。でも、人に案内して頂くと、相手の時間が気になって、どうしてもゆっくり墓碑文を読むことが出来ません。私も一人で墓地の調査に行くときには不安を感じますが、その不安は蛇や蜂などの厄介な生物に対する心配です。蚊の襲撃にも弱りますので、墓碑の調査は寒いうちがよいでしょう。
時々、スズメバチの巣がある墓地がありますので要注意です。スズメバチは十一月頃までは元気に飛び回るようですし、夏の気温が高かった年は危険だそうです。地球が温暖化してくると、日本にもマラリアを媒介する蚊がやってくるそうですから、墓地調査もやりにくくなるかも知れません。

横道にそれますが、地球の温暖化が人間が排出するCO
ガスだけでおきるというのはどうも納得が行きません。人間はそんなに力のある生物でしょうか?地殻や太陽活動の変化、そういうエネルギーに比較してとても小さな存在のように思えます。

ともかく、厳寒の墓地調査には風邪を引かないように厚着をして、手袋と懐炉は必須です。寒いとボールペンのインクの出も悪くなりますので、シャープペンがお奨めです。鉛筆で書いた文字は意外に長く残ります。寒いと手の動きが鈍りますので、シャープペンの芯はBか2B位が適当です。

調査に役立つ
アドバイス  目次に戻る

・手紙を書きましょう

株家の調査、郷土史家への照会、村の古老からの聞き取りなど、調査の課程を記録して残すことが大切です。また、尋ねたい用件は整理して、自分の持っている資料と主に郵送して下さい。電話は便利なようですが、相手が耳の遠い年寄りでは誤解を生むことにもなりかねませんし、どうしても複雑な話になりがちですから、必要な情報を聞き出すには能率が悪いと思います。致命的なのは、電話は記録に残らないということです。
下手な文字であっても丁寧な手紙を書けば、真剣に先祖調査を行っているという気持ちを伝えることもできます。但し、手書きでは一度に多くの手紙を書くことが出来ませんので、ワープロやパソコンに慣れ親しんでいる方でしたら、これらを使った方が良いでしょう。但し、自分の署名と宛名は筆で丁寧に書いて下さい。手紙には名刺を同封されることをお勧めします。

 ・電話を利用しましょう

電話での問い合わせは避けるべきと言いましたが、電話も使いようではけっこう重宝なものになります。
一番役に立つのは電話帳です。特に同じ姓の人の分布など調べるのには便利です。たいていの図書館に行けば、全国の電話帳が揃っています。システム・ビットから出ている「ら〜くらく電話帳」には全国の登録電話番号が掲載されていますので、CDROMを一枚手元に置いておけば強力な武器になります。調べたい土地の図書館に行けば、古い電話帳を閲覧することも可能ですし、同地のNTTに問い合わせて調べたい姓の箇所のコピーを頼むという方法もあります。
目標とする家かどうか不確かな場合には、自分の身元と先祖調査をしている旨を簡単に告げて電話で確認しても良いと思いますが、確認がとれたら改めて手紙を書いて断りを入れておく方が良いと思います。後々に思いもかけない情報を戴けることもあります。

 ・地図を活用しましょう

ちょっと大きな図書館に行けば、県内の住宅地図が揃っています。
同じ姓の家が何軒も建ち並んでいる田舎の集落内で、比較的旧家の家を探すには、その中で最も高い場所にある家に注目して下さい。旧家ほど小高い場所に陣取っているものです。
家の門までの不自然な導入路がある家もチェックして下さい。長い歴史の中では栄枯盛衰は付き物です。門から玄関までの導入路の長い大きな屋敷が、逼塞した時代に玄関前の土地を切り売りして残った場合にこんなふうになります。

旧家と共に墓地の場所もチェックして下さい。地図上では「⊥」印であらわされます。山沿いの集落では裏の山に、もともと海辺の集落であった所は、もと浜辺に相当する場所に共同墓地がある場合が多いようです。裏山に建てた石塔は山崩れから、浜辺の石塔は高波から集落を守るように建てられてきたように思えます。
住宅地図で、目標が或る程度絞られたら、並行して電話帳で電話番号を確認します。

 ・調査の小道具

住宅地図や電話での確認、手紙で自分の調査の目的などを相手に伝えたら、相手の都合を確かめて調査に行きます。

いつどんな形で貴重な資料にめぐり会うかも知れません。カメラは必ず携帯して下さい。私は八百万画素のデジカメを携帯しています。撮影直後に写り具合を確認出来ることが便利です。撮影する場所が充分な照明の得られないことが多いので、手振れは要注意です。
古文書はゼロックスコピーの熱に弱いので、コピー機にはかけない方が良いです。あなたが見付けた古文書を百年後の人が利用したいと思うこともあり得るからです。また、日に焼けて黒くなった古文書はそのままゼロックスにかけると真っ黒になって読むどころではありません。こういうものも一旦写真撮影して出来上がったプリントをコピー機にかけるとずいぶん見やすくなります。
墓碑の写真を撮るときには、フラッシュ機能を強制オフにしてカメラをしっかり固定して同一アングルで何枚か撮って下さい。フラッシュを発光させると墓石が白く飛んで写ってしまい、何も見えない写真が出来上がります。急いでいるときの墓碑文の写し取りや、複雑な家紋の覚えにも利用できます。碑文は撮影しながら音読してICレコーダーに入れて持ち帰ります。空いた手で蚊を撃退しながら作業したり、慣れてくると雨の日に傘を差しながらという芸当も出来るようになります。但し、水で濡れた墓碑文ほど読みにくいものはありませんから、これは上級者向けの技術です。
米国から私の所に日本の先祖の調べ方を聞きに来られ日系四世のT氏は、私に断った上でテープレコーダーのスイッチを入れました。私はICレコーダーと電話録音用のマイクを持ち歩くようにしています。何処と何処がどういう親戚関係にあるかという仲人さんが持っているような情報に通じた人の話を聞く時には便利です。

 ・訪問先での注意

訪ねた先の家の人が信用してくれて、古文書などの資料の貸し出しを許可してくれても、決してこんなものを借りて帰ったりしないで下さい。その家に関係する人はいっぱい居るのです。他の人が文句を付けないとも限りません。あとで、トラブルの元になるかも知れないことは極力避けるのが賢明です。

「系図はあったが、貸してくれと云う人があって貸したら戻ってこなかった」
という話をよく聞きます、こういう話も系図の非公開に一役買っています。
年取って暇潰しにやっている人の中には、勘違いや、物忘れもあり、悪気がなくてもそのままになったということもあるようで、そういう人が亡くなった後、事情を知らない遺族が図書館に寄贈してしまったという話も聞いたことがあります。

貸し出しの許可も貰え、どうしても必要があって借りて帰りたい時には、署名押印した借用証書を置いて帰るべきです。そして出来るだけ早く返却することです。

調査に出かけるときには名刺と印鑑は必須です。
そういう点で、カメラを携帯していると便利です。お宝(貴重な文書)が出てきたときに、すかさず「一枚撮らせて下さい!」とお願いするのです。


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