佐藤家
都宇郡妹尾村




盛隆寺駐車場に上る道の北側、盛隆寺の本堂西にある墓は、佐藤三郎兵衛家の墓地を捜して妹尾を訪ねた時、最初に目を付けました。墓石の古さ、形、端正に並んだ様子から一見して歴史を感じさせます。
一列に並んだ手前二、三の墓碑は享保の年号です。奥の方の墓碑に「佐藤平次兵衛」とありますが、他の墓碑には埋葬者の俗名がありません。
平成十五年春の彼岸の直後にみた時にはシキビが供えられていました。手前には埋葬者の名はありませんが、女性の墓で「志主近藤甚八」と建設者の名が入っています。同じシキビが供えられていますので、近藤家に養子に行った息子が実母のために供養をしたのでしょうか。
佐藤三郎兵衛家のお墓が見つかってから改めて碑文を確認しましたが、

○實相院宗理日體 享保六年
○相心院妙理日等 享保九年
○聞成院宗慧 元文二年
○聞徳院妙慧 寛保元年

という四基がおそらく二代続きの夫婦だろうと思います。これらの戒名を三郎兵衛家のものと並べてみます。

○圓立院宗淳信士 正徳元年 六代佐藤三郎兵衛
 圓信院妙淳信女 享保九年
○恵旭院宗陽 寛保二年 八代佐藤三郎兵衛
 義天院妙秋 享保十九年
○潤承院宗樹日法 天明九年 九代佐藤三郎兵衛信明
 凉雲院妙雨日等 文化五年

夫婦の戒名が「宗」「妙」できれいに統一されています。こういう統一性が同地区の他の佐藤家にないか確認してみました。そうすると、三郎兵衛家と本家分家関係が最も明かではないかと思われる藤井と改姓した家に一組、シロサトウ(三郎兵衛家の別称)から分かれたと口伝する米屋佐藤家に一組、大佐藤家に一組、紋佐藤家に一組、この分家田中屋に三組、佐野と改姓している家に三組、所司と改姓している家に一組みられます。シロサトウの本家(?)と口伝する大福吉浜屋佐藤家、郡屋佐藤家には見られませんでした。

奥には整理され重ねられた墓碑群があり、その上が米屋佐藤家の墓地、更にその上にも佐藤姓の墓地が続きます。右に目をやると草むらの中に「八濱屋」と彫られた墓碑がいくつかあります。これらは浦田氏一統の墓で、浦田家も佐藤と同族になるそうです(佐藤S氏による)。「八濱屋」という屋号は「妹尾・箕島のむかしをたずねて(平成八年 妹尾を語る会運営委員会発行)」という本に「・・・シロサトウは大福の葦浜屋(八浜屋)の分家で・・・」とありますから、同一屋号(同族)の墓碑が近くに散在していることからみても、墓は妹尾西磯佐藤三郎兵衛家かきわめて近い株家のものではないかと疑われます。現在、祀っているご子孫を調査中です。なお、浦田氏一統の墓地は住田の山中腹(妹尾中学校グランドの下あたり)にあり、夫婦の戒名が「宗」「妙」で統一されているものが四組見つかっています。

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