若林家
児島郡彦崎村
倉敷市史にこの家の系図が掲載され、生坂の目黒家との縁があるので注目していました。その後、岡山市大福の菊屋吉田家との縁も判りましたのでまとめてみました。
亦七郎――紋四郎 ――勝右衛門亮維――紋四郎亮尚――+――太吉 元文3 安永9 文政2 慶應1 | 天保2 室 室 室目黒氏 室三宅氏 | 室内海氏 +――秀三郎亮貞 ――勝三郎 室杉原氏 | 嘉永3 安政6 室脇坂氏 | 室 | +――慶 | 尾崎宗俊妻 | +==泰一郎 ――+==薄太郎 ――+――政江 | 吉田氏 | 大橋氏 | 小野孝太郎妻 | 大正7 | 大正7 | | 室家女 | 室泰一郎娘 +――泰明 | | | +――愛之助 +――エイ | 室安原氏 | 文政12 | 吉田元治妻 | | | +――寿恵子 +――甚太郎 +――晴 | 西山卓夫妻 | 天保4 布施定信妻 | | +――晴子 +==勝右衛門亮寿 尾崎秀一妻 尾崎氏 嘉永7
勝右衛門亮維の妻伊勢は生坂の目黒定七郎娘です。紋四郎亮尚妻野恵は下道郡嵯峨野(真備町薗)三宅氏ですが三十六才で死去していますので、岡山藩中内海幸が後妻となりますが二十三才で死去、三妻備中足守杉原須美も三十三才で死去して、岡山藩脇坂金が四妻として入っています(明治四年に五十七才で死去)。
亮尚は長男太吉、次男秀三郎亮貞(享年二十五)、三男愛之助(享年三才)と相次いで喪い、同郡田の口村尾崎家から勝右衛門亮寿を養子に迎えますが、三十一才で早世しています。その後、都窪郡福田村大福の菊屋吉田清三郎の二男泰一郎が可女の婿養子となって嗣いでいます。
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