八木家
都宇郡西田村





平成十一年暮れから十二年正月にかけて、木村才右衛門(=財右衛門、倉敷市西田の庄屋)の家の歴史が判り、西田の木村家墓地近くに八木姓の無縁墓を発見しました。古い墓碑がけっこう転がっていますが、摩耗して判読どころではありません。

共同墓地のいちばん上座と思われる位置にあって、新田と墓地の歴史からみても、入植間もない頃、当時は本拠を未だ中庄村に置いていた木村家から嫁いだのが受光妙吟ではないかと思います。判読できる墓碑のみ記録しておきました。

角兵衛==新次郎==和作 ==竹太郎 ――+――礎平
安政3  八木氏  安本氏  物部氏   |  明治33
     明治2  文久3  明治39  |
     室家女  室家女  室家女   +==静夫
                        三谷氏
                        昭和12

墓誌を参考にすると上記のようにつながると思いますが、角兵衛の代は既に夫婦とも四文字の居士・大姉のなかなか立派な戒名が付いています。新次郎は栗坂村八木鉄之丞3男、和作は連島亀島新田安本氏、竹太郎は川上郡手荘村物部養順次男、静夫は沼隈郡金江村金見の三谷慶次郎弟とあります。
栗坂の八木家との縁合からみても、西田新田開発当時に栗坂から出てきた家だろうと思います。手荘村の物部氏は平川家の株家ではないかと思います。

安本氏は安本健吉氏の家系につながるように思います。
都窪郡誌に、西田村年寄として、八木新次郎、和作の名が見られます。


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