安本家
浅口郡亀島新田村





既に紹介している薄田氏と中塚氏の系図を結びつけるために浅口郡亀島新田村(倉敷市連島亀島新田)の庄屋を勤めた安本家についてまとめておきます。
倉敷市史に安本健吉の紹介があり、そこに掲げられた系図を参考に書いてみました。墓碑から利兵衛の歿年が判りましたが、保教の父とするには少し年数に無理があるように思いますので、又十郎政之を入れてみました。
また、利兵衛までは、光源禅門、自照居士、松覚居士と続くように書かれていますが、墓碑では、光源禅定門=元禄十年歿、自照信士=宝暦十年歿、松覚信士=宝暦十四年歿となっていて、利兵衛の先を簡単に解き明かすのも難しいようです。

                          分家
利兵衛――又十郎政之――+――利右衛門保数――+==勝蔵克明――恒太直明 ――+――健吉克明 ――+――久米雄
安永2  寛政8    |  文化10    |  安本氏   萬延1    |  昭和22   |  昭和54
            |  室安原氏    |  慶應4   室中塚氏   |  室富山氏   |  室
            |          |  室保数娘         |  室薄田氏   |
            +――女       |               |         +――光子
               守屋卯助妻   |               +――さか恵       堀家恵政妻
                       |                  中塚季成妻
                       |
                       +――利衛次保明――+――武一保昌
                       |  明治6    |  明治5
                       |  室      |
                       |         +――岸太郎
                       |         |  明治32
                       |         |  室
                       |         |
                       |         +――芳太郎 ――貞雄
                       |            明治39  明治40
                       |            室
                       |
                       +――又十郎
                       |  明治11
                       |  室
                       |
                       +――律蔵
                          橋野家嗣

恒太は青年のころ、下僕を連れて京都へ上りましたが、宿屋では、同僚の若者が二人して泊ったのだと思ってひどく待遇が悪かったようです。そこで恒太郎は短冊に俳句を書いて、女中に持たせて主人のところ届けさせました。その句がどういう句だったかは不明ですが、主人は恒太が然るべき人物であることを知って、羽織、袴で詑びに来ました。亀島新田と西之浦村の里正を勤めて四十一才で死去しています。妻美寿との間に二男三女をもうけていますが、長男隼之進は夭死したので、次男の健吉が嗣いでいます。長女、次女はそれぞれ嫁し、季女は夭死したとあります。碑文は三島毅の撰です。

健吉は、六才で父を喪い、大叔父利衛次保明に助けられて村役人を勤め、十五才で廃藩置県を迎えています。その後、東京大学古典講習料の第二期生となり、漢籍や古文を学び、卒業後は中等学校や岡山県師範学校の教諭を勤めました。書をよくし和歌にも巧みでした。


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