合田家児島郡北方村

合田家
児島郡北方村





倉敷市史に系図と墓誌が掲載されています。今在家の大森家とか西幸西の野崎家との縁合を記してあるので興味を持ちました。

清五郎恒幸――+――千右衛門信幸――清五郎敬忠――千右衛門敬信――祥三郎 ――武二  ――康郎
文政7    |  嘉永6     安政4    明治6     昭和17  昭和32
室藤原氏   |  室秋山氏    室木村氏   室片山氏    室     室
       |                 室大森氏
       +――善兵衛安直
       |  分家
       |
       +――宇多
          天保13

市史には「**休可信士 直信 直敬の父分居称善兵衛当家の元祖延享二年」という記録がありますが、初代が延享二年に亡くなっているとすれば、恒幸の前に二代くらいあるのではないかと思います。銘の読めない籃塔が二基ありますから、これらが相当するのかも知れません。

清五郎恒幸は十七才で名主となり、六十一才で大庄屋に昇進、七十三才で退役し、文政七年に九十四才で亡くなっています。生涯無病でした。墓碑は崩し文字で書かれていて難読です。恒幸の妻は波知村の藤原氏、この人も八十五才まで長生きしています。
千右衛門信幸は壮年で父のあとを継いで里正、大里正となり、苗字帯刀を許されています。七十四才で隠居して、嘉永六年に九十三才で亡くなっています。二代続けて身体健全、頭脳明晰であれば家が栄えないわけがありません。信幸の妻は沖新田六番の秋山氏です。
清五郎敬忠も里正を勤め、文化年中の興除開墾に尽力、天保五年大保正となり同十一年に下役人になります。安政四年に六十七才で亡くなりました。妻は和気郡伊部村の木村氏です。
千右衛門敬信の妻は尾原村片山氏ですが、二十七才で早世したので、上道郡今在家村大森玄左衛門二女を後妻に迎えます。大森家はおそらく庄屋家とその株家しかないとと思いますが、源左衛門と名乗った人が確認できません。祥三郎の母は大森氏のようです。

信幸の兄弟善兵衛安直が分家したあとは下記の通りです。

善兵衛安直――+==昌平安成 ――直道
天保11   |  上野氏
野崎氏   |  天保11
       |  室安直長女
       |
       +==義勝   ==寛平直則==俊三貞則――精一郎 ――+――俊一  ――宏平
          守田氏    津下氏   野崎氏   大正12  |  昭和55
                 明治14  明治22  室     |  室
          室安直次女  室     室直則娘        |
                                   +――桂二
                                      船橋家嗣

善兵衛安直は村内に分家して醸造業を始めたとあります。隣村番田の醤油醸造家近藤三郎二の業績中に「北方村の合田俊三とはかって備前醤油醸造組の設立を企画」とありますので、代々醤油醸造を行っていたようです。妻嘉乃は邑久郡西幸西村野崎氏で、二女をもうけました。上野氏の子安成を長女の婿養子に迎えて跡を嗣がせました。安直、安成と里正を勤めています。また、守田氏の子義勝を次女の婿養子に迎えて分家させています。安成夫婦には一女子があったと刻まれていますので、直道も養嗣子でしょうか。義勝夫婦には二男二女があったと刻まれています。貫平直則は上道郡沼村の津下直太郎三男です。俊三貞則(号鋒洲)は邑久郡幸島村野崎喜太郎三男で寛平の娘与志の婿養子となって家を嗣いでいます。精一郎次男桂二は御津郡石井村巖井の船橋定雄長女の婿養子となっています。


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