幡中家
邑久郡玉津村尻海



幡中家は尻海の若宮八幡宮の祀官を13代に渡って勤めたそうです。その屋敷は八幡宮の西、現在の玉津小学校グランドの北側藪中にありました(戦前頃まで?)。
現在は行き交う人を見つけるのも苦労するほどさびしい集落ですが、往時には千石船が何十艘も停泊した港で、朝鮮貿易にも関わり、その勢いは牛窓港を凌いでいたと云われます。



墓地は尻海の集落をどんどん山に登っていって、ブルーライン・一本松サービスエリア近くにあります。古い墓には「畑中」とも彫られ、姓は藤原とあります。
どれもたいへん質素な墓碑で、個人的にはたいへん好感を持ちます。「墓にはそれを建てた人の品格が現れる」と思います。

右門尉――佐渡  ――吉房  ――・――右衛門――久米介――茂吉之――主部吉信 ――+――右衛門吉臣――+
宝永4  享保14  享保16     寛政6  寛政8  文政5  慶應1    |  明治36   |
           室野崎氏                    室      |  室児玉氏   |
                                   室      |  室長船氏   |
                                   室児仁井氏  |         |
                                          +――兵二郎    |
                                                    |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――登   ――+――文子
|  宮家氏   |
|  昭和15  +――栄枝
|  室吉臣娘  |
|        +――吉隆 藤井家嗣
|        |
|        +――貢 宮家家嗣
|        |
|        +――求
|        |  昭和37
|        |  室
|        |
|        +――千恵子
|        |  横山家へ嫁
|        |
|        +――鶴江
|        |
|        +――政子
|           山谷家へ嫁

+――計無
|  江田富三郎妻

+――小繁
   田邉昌二郎妻

墓碑をもとにして作成した系図と対照させてみると、幡中(畑中)家は戦国時代の末から江戸時代初頭の頃から若宮八幡宮の祀官を勤めていたことが判ります。


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