早瀬家・福島屋
浅口郡西之浦村
この家は元の姓を羽井佐(はいさ)といい、一族の墓地周囲に「灰佐」と書く家の墓地もあることから、灰佐→羽井佐→早瀬(はやせ)というように姓を替えてきたのではないかと思います。
立派な塀に囲まれた墓地には治郎右衛門元義夫婦の巨大な五輪塔が建ち、門前には元義の顕彰碑が建てられています(正福寺の西)。
早瀬家はこの元義の代に巨万の冨を築き上げたようです。彼は、もともと農民でしたが、連島の港を利用して海運業を始め、その成功と共に次第に船を増やし、農地を買い入れ、この土地で綿作を行いながら、付近の農家からも買い入れた綿を自前の工場で篠巻や綿袋に加工、これを船を使って全国規模で売りさばき、帰り荷に北海道の干鰯を積んで帰り、これを肥料として農家に売って財をなしたそうです。いま、連島の箆取神社の入り口に建っている巨大な門柱に深く彫り込まれた「早瀬治郎左衛門」の銘をみると、当時の隆盛が偲ばれます。
早瀬氏は連島に古代から住み着いていた船氏の流れだそうです。船氏はもと百済の帰化族で、河内国で船舶関係の仕事に従事していました。その後、児島屯倉(朝廷の直轄領)の職員となって児島にやってきたそうです。
羽井佐 早瀬 市兵衛義信――三郎次義政==治郎右衛門元義――+――治一郎義冨―――+――和平次義直――+――吉松義治――――+ 安永2 文政3 西本氏 | 明治32 | 大正12 | 大正13 | 室 室 明治9 | 室三宅氏 | 室西本氏 | 室早瀬氏 | 室義政娘 | | | | +――弥左衛門義勝 +――和次郎義慶 +==兵作道義 | | | | | +――與三郎義従 +――三郎冨乗 +――小梅 | | | 明治34 | | +――女 | +――美野 | 西本政信妻 +――秀五郎 | 山本喜重郎妻 | | | | +==清三郎 +―― 一二 | | | +==玄左右 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――治一郎 | +――満津 | +――吉左衛門 | 昭和9 | +――ま津 | +――吉之助 | 平成1 | 室多賀氏 | +――松代 | 早瀬二郎妻 | +――篤太郎 | +――民
元義の父は西本広信、母は大野氏。義冨の妻は同村三宅弥十郎長女です。
和平次義直は犬飼松窓の門に入って詩書を学んで雲帆と号し、海運、綿の栽培加工、肥料売買などの家業を継ぐかたわら、西之浦村長、連島村長、同町長などを勤めています。しかし、大正4年の貴族院議員選挙をめぐる疑獄事件に巻き込まれて逮捕され、同12年に72歳で死去しています。
下記は西早瀬という分家の流れです。
弥左衛門義勝――+――弥五郎義人==庄五郎 ――+==準三郎 ――+――紀典 慶應3 | 大正12 義従次男 | 平川氏 | 平成・ 室三宅氏 | 室国府氏 昭和7 | 昭和14 | 室寿栄娘 | 室難波氏 室義人娘 | 室庄五郎娘 | | | +――達 +――三四郎義内 +――寿栄 | 妻季子 明治15 | | +――直栄 | | +――喜久子 +――後子 | +――明夫 室藤田氏
義勝の妻は同村三宅直吉長女、義人の妻は総社市金井戸の国府始市孝常次女、後妻は岡山市上土田難波可宗長女です。
準三郎は芦品郡駅家村平川長十郎3男です。
與三郎義従のあとは次のようになっています。
與三郎義従――+――辰吉郎義克 ――+――実(三郎?) 明治30 | 明治30 | 室谷本氏 | 室 | 室 | | +――くり +――政(五郎?) | 某家へ養子 | +――三四郎 | 明治16 | +――庄五郎 早瀬義人の嗣
義従の妻は小田郡新山村谷本惣作次女です。
角店という分家の流れは下記の通りです。
和次郎義慶――+――春野 明治43 | 明治27 室平松氏 | +――清 | 本家吉松妻 | +==喜與治 ==二郎 板野氏 山上氏 昭和54 平成6 室家女 室早瀬氏 室家女 室家女
義慶の妻は備中松山平松與七郎長女、5女を生んでいます。喜與治は清音村柿木板野武右衛門次男(同山太郎弟)。
三郎富乗のあとは次の通り。
三郎富乗――栄一 ――+――照子 明治34 昭和23 | 荒砂富夫妻 室 室 | +――栄 | 野山亮三郎妻 | +――静子 | 堀部玄太郎妻 | +――寿恵子 | 鎌倉守妻 | +――五雄 | 妻芳香 | +――千郷
秀五郎―――+――茂野 昭和8 | 早瀬一二妻 室田邉氏 | +――孝四郎 | 昭和32 | 室坪井氏 | +――善五郎 | +――直方 | +――諭吉 | +――誠之進 | +――幸子
秀五郎の妻佐登は総社市美袋の田邉安八郎の長女、この人の消息を知りたいために、この一族の調査を始めました。秀五郎のあとは善五郎以下の男子が相続したようですが、子孫で判っているのは早瀬一二(和平次義直の子)妻となった茂野のあとだけです。諭吉さんのあとは大阪方面に出られているそうで、秀五郎と離縁した佐登もそこで亡くなったようです。
治一郎長女悦子に片山家から養子清三郎を迎えて立てた分家は下記のようになります。
清三郎―――+――菊野 片山氏 | 明治31 +――艶子 室義冨娘 | 原健妻 | +――治三郎 ――+――女 昭和18 | 秋山氏へ 室守安氏 | +――男 | 室中山氏 | +――男 | +――女 今井氏へ
義冨は娘に小田郡三成村片山類吉3男(同敬一郎弟)清三郎を迎えて分家させています。
義直は長女に赤穂市加里屋の三木豊三郎長男兵作を迎えて分家させています。
兵作道義――+――兼子 三木氏 | 昭和62 昭和27 | 室義直娘 +――篤太郎 | 昭和8 | +――喜久蔵 | 室 | +――衣子 小田家へ嫁
一二 ――+―― 一美 昭和30 | 昭和13 室早瀬氏 | +―― 裕 | 昭和39 | 室小野氏 | +――三郎 | 平成2 | 妻コノ | +――和吉 | 昭和20 | +――格 | 妻美智子 | +――朝子 | 原田徳恵妻 | +――堯子 | 三宅弁之助妻 | +――志女 弓削光行妻
玄左右は尾道市十四日町の山下正三郎次男で、義直6女竹野の婿養子となって分家を立てています。
玄左右――+――欣一 ――女 山下氏 | 昭和20 宮奥氏へ 昭和16 | 妻松子 室義直娘 | +――喜代 | 中村俊夫妻 | +――昭代 宮田政義
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