石原家
備前国邑久郡車村




清水多喜野が語った縁合覚えに、現東京都知事の石原慎太郎(当時は作家)が多喜野の実家江田家の縁先になるということが記されています。石原慎太郎氏の家は「備前の石原氏の末流で・・・」という記事を見つけましたので、調べてみることにしました。
どこから手を付けて良いのか判りませんでしたが、上記の覚えに「石原慎太郎の家(邑久郡   )」とあり、電話帳、住宅地図で見ると、車に長船町内で最も石原姓が多いことが判り、墓地を調べてみました。
どうやら慎太郎氏の家は愛媛県のようで、同じ瀬戸内で関連がありそうですが、残念ながらよく判っていません。

馬――+――
    |
    +――
    |
    +――某――次郎右衛門――助九郎 ――治右衛門――久左衛門――+――利介
          元禄10   享保18  寛延3   明和2   |  安永2
                 室草井氏  室     室大亀氏  |
                                   +――平民寿祐――平也璋 ――+
                                      天保9   天保8   |
                                      室中山氏  室中山氏  |
                                                  |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――美恵
|  片山延寿妻

+――平之丞
|  安政6
|  
+――俊民   ==富三郎  ――+――俊士  ――+――実   ――*
   明治24   花房氏    |  昭和33  |  平成19
   室細木原氏  昭和6    |  室内藤氏  |  室
   室左近氏   室俊民長女  |        |
                 +――満寿子   +――*
                    多胡謙妻

平也璋(士達)は医師。代々農民でしたが、父平民の代から医業をはじめました。赤穂の神東郭、後に中村圃公に学び、外科を得意としました。患者への接し方が親切、門人への教育もていねいで、父母へもよく孝養を尽くしたということで、文政年に岡山藩から褒賞されています。

俊士は京都府立医学専門学校(現京都府立医大)を卒業。卒業後同医専微生物学教室で細菌学を修め、さらに京都帝国大学婦人科学教室で婦人科学を研修しました。倉敷中央病院婦人科医長を経て、高松病院婦人科医長。昭和九年に高松市西通町に開業しました。


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