亀川家
小田郡笠岡村





この家の先祖は戦国時代、毛利方の武将であったそうです。江戸時代になって笠岡村に定住し、問屋回船業で財をなし、村役人を代々勤めていたようです。笠岡町沿革史によると、享保2年、亀川屋平介、同14年、亀川屋平介事又左衛門などの名前が見られます。邸宅は今の笠岡郵便局の場所にあったそうで、墓地は笠岡駅近くの浄土宗玄忠寺にあります。玄忠寺には亀川家から寄進されたという立派な山門が堂々と建っています。墓碑を一通り見渡すと延宝年間のものから確認できますが、歿年と戒名のみしかなくて系譜復元は難しいようです。
玄忠寺の墓碑はどれも立派なもので、いまでもどなたかがお祀りされているようですが、聞くところによると、加藤家に嫁いだ小市さんが直系血脈を引く最後の人であったということです。

房恕―――+==又左衛門矩重==平助弼吉――+――女 高戸孝善妻
宝暦13 |  中山氏     桑田氏   |
     |  天明4     文政4   +――女 中島栄武妻
     |  室高橋氏    室高橋氏  |
     |          室菅波氏  +――平助紀之――平助行季==礼太郎――+――浄平
     +――女             |  弘化4   大正7   得能氏  |  大正6
        馬越倫意妻         |        室平松氏  明治31 |
                      +――為右衛門        室行季娘 +――小市
                         菅波家養子               加藤俊彦妻

児島郡天城村(倉敷市天城)の中島富次郎妻清の父は平助弼吉、母は備後国神辺村の本庄屋菅波家の娘です。清の弟平助紀之は村役人として江戸に滞在中、47才で死去しています。

高戸家に嫁いだ清の姉は弼吉の最初の妻(高橋美啓の長女)の子です。高橋美啓の次女は備中上房郡松山(現高梁市)の平松正春の子元右衛門を養子に迎えて家を継いでいます。

元右衛門正澄(正徴)は、清園、有所有居、心月洞、塵室などと号し、剃髪名を残夢といいました。安永4年に生まれ、嘉永4年に死去しています。笠岡村の宿老を勤め、文政5年に大坂へ移住しています。職務上の不都合があったとも言われますがはっきりしたことは判っていません。木下幸文の跡をうけて大坂桂園門下歌壇をにないました。大坂では、小橋納屋町、立売堀、大川町浮世小路(北浜)に住んだそうです。晩年は失明しますが、文化10年頃に香川景樹に入門しています。笠岡在住時代は丸山琴里、高戸楽山らと雅交を結んでいます。最初の妻が死去した後に丸山久右衛門の娘栄子を後妻に迎えています。子は熊彦正啓(正純)とあります。玄忠寺の高橋家の墓碑はどれも立派なものですが、いまは無縁墓として積み上げられています。


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