木山家・日野屋
窪屋郡倉敷村





古い墓碑には「政屋」と彫られています。

正兵衛 ――孫兵衛――+――孫兵衛――孫兵衛――+――孫兵衛
享保10  宝暦7  |  天明5  文化8  |  文久2
           |            |  室児島氏
           +――利平太       |
              分家        +――熊五郎煕春==精一  ――+――巌太郎
                        |  明治9    松尾氏   |  昭和11
                        |  室和田氏   大正8   |  室友沢
                        |  室小川氏   室石津氏  |
                        |               +――熊次郎
                        +――貞次郎          |  明治44
                           分家           |  室正木氏
                           明治10         |
                           室三宅氏         +――保三郎
                                           松尾家嗣

精一は煕春の養女石津氏に賀陽郡八田部村(現総社市)松尾家(儀一郎長男)から迎えられた養子婿です。明治元年、27才で百姓代、明治4年に年寄役、明治5年に副戸長、その翌年に戸長となっています。この間、倉敷義倉の存続に力を尽くしています。明治9年に村総代、村会議員、町会議員、明治17年に県会議員、同31年から1年余に渡って県会議長を勤めています。実業面では、倉敷紡績、倉敷銀行(中国銀行の前身)取締役を歴任しています。
長男の巌太郎は明治21年に同志社英学校(現在の同志社大)を卒業して、帰郷後は町会議員、郵便局長、備前紡績会社重役などを歴任しています。備前紡績は妻の叔父になる大森馬之が社長を勤めていた会社になります。また、郷土史の研究家としても有名で、その著書「倉子城史談(くらしきしだん)」は貴重な文献となっています。
精一の次男熊次郎は、岡山中学、一高、東京帝大哲学科を卒業して、二六新聞社に入社。明治40年に内外教育評論を発刊しています。


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