友沢家
浅口郡七島村
先祖は大塚姓で、本国は下総、その後美濃国へ移住しました。将監は、天正年中に信州松代城主森武蔵守右近太夫長一の家臣となり、慶長8年に主と共に作州津山に移住しました。その子惣兵衛は慶長11年森忠政に仕えて500石取りでした。惣兵衛の娘哲は万治2年津山にて生まれ、平井氏を養子に迎えて相続しています。更に、その跡を継いだ正之は、加藤遠江守の家臣高田文四郎の子で、14才で養子となり、津山藩森内記の家来として250石取りでしたが、延宝2(1674)年に浪人して友澤と改姓し、備中浅口郡内七島村に移住しました。
信濃国内4郡を領して川中島に居城していた森忠政(森蘭丸弟)は、慶長8年に作州18万石余の領主となって津山に入城しました。その後、長継、長武を経て、4代長成の時代元禄10(1697年)年に、幕府の末期養子の禁に触れて取り潰されました(改易)。
大塚 友沢 将監――惣兵衛==甚右衛門==與兵衛正之――甚内清繁――+――吉治郎 平井氏 高田氏 大嶋氏 | 延宝9 元禄12 享保21 +――三治郎清親 室家女 室家女 | 元文4 | +――安治郎 | 吉田家嗣 | +――儀右衛門 | 高木家嗣 | +――加屋 | 瀬良太兵衛妻 | +――甚右衛門清蔵==元右衛門致林――+――善次兵衛武付 ――+ 明和2 吉治郎の子 | 文政3 | 寛政2 | 室平井氏 | 室水川氏 | | +――女 | | 美濃部長十郎妻 | | | +――保右衛門 | 冒姓大塚 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――善蔵清通 ――+――虎治郎清煕 ――+――好太郎清範 ――+――女 | 文久2 | 嘉永4 | 安政2 | 木山巖太郎妻 | 室吉田氏 | 室田邉氏 | 室大森氏 | | | | +――女 +――秀 +――女 +――女 | 安原貞三郎妻 | 大嶋猪兵衛妻 | 大嶋民之介妻 | 菊池武通妻 | | | | +――清隆 +――禮蔵 +――女 | | 梶谷正次養子 | 菊池親武妻 +――徳治郎清郷 ――+――憲政 | | | 文久1 | 菩提院住職 +――茂登介 +――八三郎義比 | 室北村氏 | | 菊池家嗣 野崎家養子 | +――寿祺 | +――女 | 昭和47 +――栄 | 室太田氏 | 宮本時行妻 | | +――女 +――英太郎元禮 | 橋本暢妻 藤井家養子 | +――克孝 | 昭和36 | +――女 | 平岡家嫁 | +――正身 | +――保定 北村家嗣
吉治郎は享保15年に玉島阿賀崎新町の商家川崎屋佐平治方へ奉公に入り、阿賀崎村の小野七十郎娘を妻に迎えています。致林はこの吉治郎の子ですが、何故か母小野氏の墓碑だけが友沢家墓地に建っています。
清範夫婦の墓碑に妻が梅で大森氏と彫られているのを発見したときには嬉しくて飛び上がりそうでした。
墓前には子の清隆が昭和2年に建立した灯籠が建っていましたが、清隆と思われる墓碑は何処にも見あたらず、傍らには清郷夫婦の墓碑がありましたので、早く亡くなった兄清隆の跡は弟清郷の子孫によって受け継がれたと解釈しました。
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