山川家 ・郡屋
窪屋郡倉敷村





慶長の頃、児島郡郡村(岡山市郡)から来て、郷宿や鉱山札差などをやっていたと云います。5代清兵衛が井上から山川に改姓しています。倉敷村の新禄と呼ばれた富商の1軒ですが、定住年代はけっこう古いようです。

井上                     山川        分家
清兵衛――清兵衛――清兵衛――+――清兵衛――清兵衛義古――+――繁太郎――利吉
慶長18 寛永8  元禄16 |  宝暦8  文化12   |
               |  室氏  室山川氏   +――清兵衛義方
               |              |  享和3
               +――喜兵衛         |
                              +――光蔵寛 ――+――半三郎
                                 天保10  |  天保4
                                 室白神氏  |  室熊谷氏
                                 室河原氏  |
                                       +――孝太郎
                                       |  天保5
                                       |
                                       +==清左衛門知崇――+
                                          広井氏     |
                                          安政4     |
                                          室熊谷氏    |
                                                  |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==清兵衛知敬――+――浦
   安藤氏    |  源十郎妻
   昭和4    |
   室生長氏   +――均   ――振作  ――+――みづほ
             昭和33  平成2   |  平成10 
             室青山氏  室佐木氏  |
                         +――男
                            室

均は社会主義運動家として有名で、明治39年の日本社会党結成に参加し、大正11年には日本共産党の創立にも参加しています。均と大原孫三郎は共に明治13年生まれの同級生で仲良しだったそうです。社会主義の指導者と資本家代表のキリスト教信者というおもしろい組み合わせです。
4代清兵衛の妻は大坂屋林氏です。5代義古妻は伊豆の山川六左衛門娘となっているので、この5代妻が改姓に関わりがあるのではないかと思います。

同じように新禄として挙げられるもう1つの山川家
(讃岐屋)の系譜は次のようになります。この家も慶長の頃にやってきて、郷宿や古着商をしていたそうです。幕末に多田姓に改めています。

山川
五郎右衛門――五郎右衛門――与三兵衛安宅――与三兵衛安本――与右衛門有尚――与右衛門義般――+
元和8    承應3    延宝1     享保17    寛保2     明和2     |
                      室氏             室平田氏    |
                                              |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

|                     多田
+――与右衛門豊矩――+――与右衛門在久――与右衛門久之――+==与右衛門敬之――+――季賀 伴臣妻
   文化7     |  天保11    室原氏     |  水河氏     |
           |  室山本氏            |  慶応4     +――真喜多正之
           |                  |  室久之娘       慶応2
           +――女               |  室植田
              石井伝蔵妻           |
                              +――与一由之==寧一 ――宗一
                                 明治29  
                                 室

敬之の娘多嘉は大坂屋林源助懐徳の妻となりますが、源助が若くして亡くなったので、その弟源十郎伴臣の妻となっています。伴臣との間に出来た寧一が由之の跡を継いでいます。由之の妻静は大坂屋林孚一の娘で、孚一は児島郡木目村の石井伝蔵の子ですから、由之と静は2いとこということになります。郡屋と讃岐屋の関係はよく判りませんが、大坂屋を間に置いて重縁があることは間違いありません。
多嘉の弟正之は、浅尾騒動で倉敷代官所が襲撃をうけたときに戦死しています。



正徳元年の宗門帳では、

高8石2斗9升3合5勺
与三兵衛    57歳  浄土宗誓願寺 印
女房      54歳 当村次郎左衛門妹39年以前縁付
男子 長三郎  36歳
   女房   24歳 粒浦村長左衛門娘4年以前縁付
女子 すえ   19歳
   わく   17歳
孫  紋蔵    3歳
人数合7人内 男3人
       女4人

女子 つぢ   32歳  西阿知村半七方へ13年以前縁付


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