松井家
上道郡才崎村
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某 ――宗右衛門――宗兵衛 ――傳左衛門愛陳――久兵衛 ――+――敬典 享保16 安永3 寛政10 天保2 嘉永2 | 近藤家嗣 室 室 室根岸氏 室木梨氏 | +==富八 ――槌五郎 ――+――治太郎 ――+ 清水氏 明治18 | 大正6 | 室延原氏 | 室服部氏 | 室家女 室鷹取氏 | | +――末寿野 | | 近藤堅四郎妻 | | | +――女 | | 江川寿太妻 | | | +――賀都 | 長船喜作妻 | | +―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――常夫 ――晋二 | 昭和44 | 室井手氏 | 室大倉氏 | 室堀越氏 | +――女 近藤萬太郎妻
鉾立村近藤家の家譜によると、
「敬興は十八歳で上道郡才崎村松井家から本近藤家へ養子となって入った。外戚にあたる(虫明)小西氏の親戚松井家から迎えた。虫明から本近藤と才崎の庄屋松井家へ姉妹の女がそれぞれ嫁入っていた。故に敬典は母(小西氏)の甥にあたる。松井家には敬典と女の子と二人がいた。その長子敬典を養子にもらいたいと本近藤に所望した。松井家では残る娘に養子をして後を嗣がしたという」
とありますが、久兵衛妻里廼は磐梨郡津原村木梨氏とあり、夫より九年前に六十才で死去しています。なお、松井家を嗣いだ房は敬興より六才年下になります。
槌五郎の墓誌には、
「父名富八和気郡香々登村清水彌六二子入松井久兵衛為義子久兵衛長女與房婚生槌五郎」
とあり、房の墓誌には、
「松井久兵衛長女也與富八婚生槌五郎」
と刻まれていますが、富八に相当する墓碑が見当たりません。
槌五郎妻須恵の墓誌には、
「和気郡鹽田村延原廣太郎長女入為槌五郎妻挙二子一女」
とありますが、治太郎(一子)、近藤堅四郎へ嫁いだ末寿野(一女)の他、治太郎の墓誌に「義弟江川寿太撰」とりますので、上記系図の他にもう一人男子がいたようです。
「大瀧山回転記」には、
「女諱志奈。嫁干松井槌五郎。槌五郎上道郡才崎邑宰也。其祖先某従大石義雄松山城収籍之役云。有一女諱。嫁干長船喜作。喜作名匠長光後裔也」
とありますので、槌五郎と後妻登茂(婚家で改名)には一女賀都のみのようです。
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