森家
浅口郡阿賀崎村





墓地は、献花などされているのを認めたことは一度もありません。「玉島地方史研究」に、明治20年頃の阿賀崎新町町並図があり、北側に「志ち屋 森」という家がみられます。
宜周は字詢夫、号を足亭といい、和歌に秀でて木下幸文日記にも名がみられます。父宜園は讃州塩飽牛島丸尾祐雅の三男で、幼時より森家に養われ、その家女を妻にして婿養子となって家督を継ぎました。一子が出来ましたが夭折、後妻吉田氏との間に一男二女、長男宜周が承家、次女は古市家に嫁いだとあります。宜周妻高戸氏は備中大賀家に再縁していますので該当墓碑がありませがありません。

某  ――某  ――甚左衛門重春――甚左衛門冝魚==甚左衛門宜園――+――女 赤松家嫁
宝永1  享保6  元文3     天明8     丸尾氏     |
室    室    室       室       文化8     +――女 古市孝直妻
                          室冝魚娘    |
                          室吉田氏    +――甚左衛門宜周 ――甚左衛門宜中――+
                                     文政4      嘉永1     |
                                     室高戸氏     室鈴木氏    |
                                                      |
+―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――新之介冝貫
|  元治1

+==榮次郎 ==甚左衛門清香――+――
   小野氏   井桁氏     |
   明治12  明治8     +――鐵蔵
   室     室          明治21

宜中は宜周の一人っ子で、三歳で父を、九歳で祖母を失ったとあります。三十才で亡くなった人ですが、成人するまでの後見は誰がしていたのでしょうか。宜中は備前の鷹取計成に師事、国詩、茶事をよくしたそうです。宜中にも新之介がたった一人の子で、しかもこの冝貫も21才で早世しています。他に、川辺村小野初太郎長男森榮次郎夫婦と同村井桁良介次男森甚左衛門清香の合祀墓、及び、森甚太郎次男鐵蔵という墓碑があって、そのあとは辿ることが出来ません。


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