長野家
賀陽郡上足守村




藤七郎  ――+――某
宝暦9    |  安永5
室      |  室
       |
       +――女
       |  重田利秀妻
       |
       +――善治郎秀政――・    ――繁次郎秀直――+==卓三
          天保14                 |  室
          室枝松氏                 |
          室             室渡邉氏   +==健次郎 ――+――曠
                                  中島氏   |  昭和50
                                  昭和19  |  室
                                  室矢野氏  |  室名越
                                        |
                                        +――幸子
                                        |  後藤勝利妻
                                        |
                                        +――實
                                        |  昭和62
                                        |  室
                                        |
                                        +――第三
                                        |  平成8
                                        |  室
                                        |
                                        +――士郎
                                           平成18
                                           室

善治郎秀政と健次郎の生年差が約百年ありますからこの間に二代あると思います。
「豊前國住長野三良左衛門末上足守住長野藤七良息女・重田久右衛門妻」
「重田久右衛門利秀」
という墓碑があり歿年からみて善治郎秀政の親世代と思われます。健次郎の墓誌に
「繁次郎は加藤肥後守の重臣長野三郎左衛門尉種信の末裔也」
とありますので、三郎左衛門種信の裔藤七郎の娘が重田久右衛門に嫁いでその子善治郎秀政が外祖父の跡を嗣いだと理解しました。
他に、
「真家義諦信士 安永五年九月二十七日
 冬林妙然信女 文化四年十一月十一日」
「方屋休西信士 宝暦九年三月三日
 如實知心信女 安永四年正月三日」
という夫婦墓碑がありますので、休西信士を藤七郎と考えました。義諦信士はその嫡子で早世、その跡を善治郎秀政が嗣いだと理解しました。

實は内務官僚で、警察畑を歩み、警察大学校長をつとめています。士郎は岡山県知事をつとめました。


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