難波家
都宇郡福田村中大福
平成七年十一月、佐藤三郎兵衛家のお墓を捜しながら歩いていてこの家の墓地を見つけました。どうも相当な格式の家のように直感しましたが、ざっと眺めて歩いたところ佐藤姓の墓ではないと判ったので、すぐに他へ回りました。
平成十五年一月中旬、ホームページを見つけてメールを送ってこられたT氏からいろいろと教えていただけるようになりました。その中で、T氏のお家は中大福村の庄屋を勤めた難波家と縁戚関係にあることを知りました。
倉敷市史に大福新田開発について書かれています。幕末に中大福村の庄屋を勤めた難波家に、中大福初代庄屋三郎兵衛の娘、中大福初代庄屋三郎兵衛の子が養子に入っているという記録があることが頭にありましたので、難波家の墓地の場所をお尋ねしましたところ、平成七年十一月に見つけたお墓と同じ場所らしいことが解りました。そこで徹底的に調べ尽くそうと三月二日に墓地を訪ねました。今度は、墓碑を端から端までチェックしましたので、中に佐藤姓の墓碑がいくつか混ざっているのを知りました。難波家の系図にある中大福庄屋三郎兵衛が「佐藤三郎兵衛」にほぼ間違いないと判りましたので、難波家の系図を出来るだけ正確に復元してみようと思いました。
「南大福村系図大概」から難波家に関するものを抽出、考察を加えて系図にまとめると、
九右衛門――+――ふり 享保5 | 難波作太夫妻 室佐藤氏 | +――荘右衛門 ――+==茂四郎 ――茂四郎 ――+――伴治 | 安永9 | 佐藤氏 | | 室深井氏 | 安永5 室難波氏 +――はち | | 室家女 | | 分家 | 室平松氏 +――むめ +――丹右衛門 | | +――さん | 分家 | 難波兵右衛門妻 +――佐平治 | | | 分家後本家嗣 | 分家 +――万右衛門精彌==竜蔵 ――+==万右衛門義光==牧右衛門正勝==完勝明 +――作右衛門 文化6 毎野氏 | 難波氏 難波氏 難波氏 | 室 文政11 | 弘化2 明治10 +――小八郎秀友 室家女 | 室家女 室義光女 室難波氏 | 長谷川家嗣 | | 享保5 +――熊五郎勝明 | 林家嗣 +――とめ 内田又次郎妻
分家丹右衛門から後は、
丹右衛門吉清――+――ひめ 天明7 | 難波平次兵衛妻 室小野氏 | +――忠右衛門 ――+――まつ 享和3 | 徳右衛門妻 室佐藤氏 | +――忠右衛門重勝 ――+――忠右衛門勝之――+――利左衛門――幾太郎 ――+ | 文政3 | 安政4 | 明治7 大正8 | | 室佐藤氏 | 室 | 室足羽氏 室二階堂氏 | | | | | +――しの +――牧右衛門 +――泰蔵 | | 児島屋嫁 | 本家嗣 | 本家嗣 | | | | | +――佐左衛門 +――きわ +――喜助 | 分家 | 岡良助妻 塩津屋嗣 | | 嘉永6 | +――八重 | 佐藤信治妻 | | +――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+ | +――正太郎 ――+――基 | 昭和20 | 昭和25 | 室 | 室 | | +――大吉 +――稔 斉藤家嗣 | +――女 江口儀右衛門妻
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作右衛門――+――段右衛門==久米吾――段吉 | 佐藤氏 室難波氏 | 室 室 | +――五郎七 大坂へ
丹右衛門のあとだけが続いているようです。
なお、佐藤姓が確認出来る墓碑は五基あり、多七(文化十)→與惣次(文政二)→利兵衛信茂(嘉永元)と続くようです。やはり諱の通字に「信」を使っていたらしく、三郎兵衛家の分家かも知れません。
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