小坂田家
英田郡三海田村





玉野屋親類記で、「三カイ田善兵衛妻」という記録を見ていましたが、「美作大庄屋大年寄記」に、関連国人として三海田小坂田氏が挙げられているのを読んで興味を持ちました。
三星城主後藤勝基の重臣、小坂田善右衛門が天正7年の落城後に三海田村に帰農したのに始まります。江戸時代には「善兵衛」を襲名していたようで、親族諸家に遺る霊名帳には、
元和7年、○○院宗善、小坂田善兵衛久安
享保14年、○○院露月浄秋居士、善兵衛
寛保14年、○○院宗三居士、善兵衛
明和7年、○○院宗観信士
などの記録があるようです。菩提寺は林野の日蓮宗福栄山寿林寺です。
また、寛政10年に美作で行われた越訴にも三海田村庄屋小坂田善兵衛が他村の庄屋共々上京したという記録があります。

墓地には、

○善兵衛、○○院督翁日喜居士
 同室柳小坂田氏享和1年、○○院妙燿日浮大姉
 同後室嶋北山産○○院妙鏡日見大姉
○善兵衛、慶應1年、○○院自薫日冬居士
○甚左衛門、明治9年
 同室とな明治廿年歿年七十八

などの墓碑があり、親類記によれば、玉野屋藤重郎吉仁(文政1年歿)のいとこが小坂田善兵衛妻のようですから、督翁居士の母親くらいになるのかも知れません。
近代の墓碑は次のようにつながるようです。

浪治郎 ==沼平  ――豊   ――
明治18  水嶋氏   昭和50
室長瀬氏  昭和21  室川田氏
      室家女

沼平は英田郡役所勤務から林野町長に就任しています。
浪治郎の妻は北條郡横野村長瀬六右衛門四女とあり、その関係か、小坂田家の墓地には長瀬家の墓碑も見られます。
沼平は久米郡倭文東村水嶋久吉三男。
豊の妻は岡山市津高町栢谷川田齢蔵長女とあるので、大津寄家を嗣いだ川田四郎とは兄妹になるようです。


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