佐藤家・田中屋
都宇郡妹尾村





佐藤三郎兵衛家と紋佐藤家の関係を知る手がかりがないかと思ってこお墓を訪ねました。佐藤S氏の解説では、

左兵衛輔好宗――祐金方之――+――源左衛門吉政 →S氏の系統
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              +――太郎兵衛信邦 →田中屋
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              +――九兵衛信義  →紋佐藤、佐藤三郎兵衛家や大福吉浜屋がここから別れる
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              +――小七郎茂富  →建部へ移住

となるのですが、祐金方之は、常山落城の天正三(1575)年頃に五歳、妹尾村中島に帰ったのが文禄年中(1592−1596)となっています。

墓地の奥に

 受法院宗玄 寛永五年 太郎兵衛信邦
 祐金方之居士
 妙性院日順 寛文六年

という記念碑が建てられていました。信邦が寛永五年に死去したとなると、その享年は三十歳前後、その妻はその後三十年ほど生きていたことになります。祐金方之居士というのは後に贈られた戒名のようです。
墓碑は正徳二年の銘が確認される崩れた籃塔から現代に至るものが確認されました。重兵衛という人が二代、重兵衛信重という俗名も確認され、やはり諱の通字「信」に拘っていたことが判りました。紋は「幕の内に三星」です。


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