清水(松笠)家和気郡清水村

清水(松笠)家
和気郡清水村





「石橋落ちても大屋の身上は落ちぬ」と云われた素封家ですが、明治に入って塩田経営の失敗で没落、親族も離散しました。
初代夫婦の墓碑は中央壇上に建てられていて、婦人の墓に「義曾孫清水信再建」とありますので、夫婦の墓とも後に建て直されたものでしょう。夫の墓碑には「翁姓三好松笠氏」とあり、元の姓は「清水」ではなかったことが判ります。「三好松笠氏」というのはどういう意味なのか判りませんが、現在でもこの集落に「松笠」姓が数軒あり、この家の墓地周辺にも「松笠」姓の墓、しかもけっこう古くて崩れてしまったような墓を交えた墓地が散在しています。そこで、この家の本姓は「松笠」で、後に住んでいる地名を採って「清水」と改姓したと理解しました。その時期についてですが、初代忠恕翁の次代夫婦には俗名、享年の刻印がなく、次々代可候から、「清水可候」とはっきり彫られていますので、三代目までには改姓が行われたと解釈できます。
忠恕翁夫婦はそれぞれ元禄12、元禄15年に、69、47才で死去しています。忠恕妻横尾氏が20才頃に二代を生んだとすれば、二代は90を越える長寿であったことになります。長生きをする人が能力的にも優れているわけではありませんが、この家の場合、二代目が相当頑張って家産を興したのではないかと思われます。「売り家と唐様で書く三代目」と云いますが、その逆もまた真なりでしょうか。
三代雲翁が養子で清水姓に改め、この妻は家女若しくは香登清水氏となっています。

松笠改姓清水
仁右衛門忠恕――仁右衛門――可候由恭==孫太郎信――+――孫太郎静 ――+――長之介
元禄12    明和5   天明3   根岸氏   |  文政3    |  天保4
室横尾氏                文化12  |  室中山氏   |
                    室武田氏  |         +――弥太郎重徳==春太郎廣畔――+
                          +==宗左衛門良     弘化3    明治10   |
                                              室家女    |
                                                     |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+――廣愛    ――+――孝策
|  明治45    |  昭和10
|          |
+――女       +――男
   小山又一郎妻     昭和15

孫太郎信は上道郡竹原村の根岸氏、信の子良は分家して名主を勤めます。

宗左衛門良――建左衛門敬義――+――金五郎友之
石原氏    明治3     |
天保6    室根岸氏    +――孫太郎貞幹――+――貞
武田氏              明治37   |  小山慎平妻
室金島氏              室根岸氏   |
                         +――謙吉   ==家邦
                         |  明治34
                         |
                         +――晋之助
                         |  明治40
                         |
                         +――豊子
                         |
                         +――津祢

宗左衛門良夫婦の墓碑は不明です(参考)。

敬義(霽月)は間、国・漢・陽明学を修め、片上に家塾清水屋をつくって慶應元年まで22年子弟を教育しました。その生徒数は165名いたそうです。貞幹の代にはその西片上に転居し、明治3年に京都府に出仕します。
敬義妻美知(享年七十三)は上道郡竹原村根岸家から来ています。
敬義(享年七十)と謙吉の墓碑は片上志賀家墓所内にあります。



貞幹(享年七十三)の3女豊子(つゆ子、花園、紫琴)は小説家として有名です。慶應4(明治1)年に備前市西片上字新屋敷(和気郡片上村大字西片上二十五番邸)に生まれました。明治14年に京都府立第一高等女学校を卒業、数年後には親の勧めに従って京都府弁護士岡崎正晴に嫁ぎます。しかし、子が出来ないまま同22年には離婚してしまいます。その後、女性解放運動に身を投じますが、福田(景山)英子、大井憲太郎との三角関係となり、憲太郎との間に一子をもうけます。この子家邦(岡山商業卒業)は戸籍上は私生児ですが、兄謙吉の養子となりました(享年六十五)。同25年、兄の謙吉が助手を勤めていた東京農科大助教授古在由直と自由結婚します。由直は後に東大総長を勤めています。由直とのあいだに由正、由重(名大教授、哲学者)、由良、静子、由信をもうけています。昭和8年に65才で死去し、墓は東京青山墓地にあります。由正の長男は天文学者(東大教授)の由秀です。


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