小山家・浜田屋
窪屋郡倉敷村





「東から桜の花が飛んできて小山の影に咲いた山吹」
有名な下津井屋事件での落首ですが、この小山が浜田屋小山家のことです。家紋は丸に四つ柏、これに剣が付された変わった紋です。倉敷に来たのは延宝の頃といわれ、長蓮寺の墓地には正徳3年に亡くなった初代の墓碑からきれいに並んでいます。もとは前神町川筋に住んでいましたが、やがて海産物問屋の傍ら金融業でも成功して財をなし、東油屋吉田家の屋敷を買収して転居しています。これは今の「旅館鶴形」として遺っています。倉敷考古館も小山家の土蔵でした。
天明8年の義倉名簿ではかなり下位ですが、明治3年の続義倉名簿では、大橋水澤植田大原の第1等(義金300両出資)についで第2等(250両)になっています。

下津井屋事件は文久3年のことですから、当時の小山家の主人は安右衛門成章です。この成章が代官を買収して親戚の下津井屋阿部寿太郎を牢から出してやったそうです。成章の祖母(大原與兵衛金基の妻)は阿部成道の娘ですから、事件で殺された阿部吉左衛門と小山成章は2従兄弟くらいの間柄で、小山と阿部を結んでいたのは大原家ということになります。
下の系図のように、下津井屋事件の首謀者として疑われている大橋敬之助の大の仲良し坂田屋礼助が狙撃した大原與兵衛清久と小山成章は義従兄弟同士になります。安右衛門敏行の墓碑には「本姓原氏」とあり、大原家がもと原姓であったという証拠が刻まれています。

安右衛門――吉兵衛 ――又八郎――又八郎――安右衛門政次――直平士敬==安右衛門敏行――+――安右衛門成章――+
正徳3   享保19  延享3  明和3  享和3     文政5   大原氏     |  明治12    |
                              室吉田氏  弘化2     |  室佐藤氏    |
                                    室士敬娘    |  室難波氏    |
                                            |          |
                                            +――女       |
                                            |  佐藤信富妻   |
                                            |          |
                                            +――類       |
                                               亀山惟忠妻   |
                                                       |
+――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――+

+==某
|  佐藤氏
|  室家女

+――又一郎 ――+――又一郎――+――成一
|  明治15  |  昭和25 |  昭和7
|  室清水氏  |       |
|        +――女    +――収平
|        |  中原家嫁
|        |
|        +――女
|           畠山家嫁

+――慎平  ――+――敏太郎
   大正4   |  昭和25
   室清水氏  |
   室梶田氏  +――女
            尾崎隆三妻

5代政次までは妻の出所など不明です。士敬の妻は都宇郡撫川村(岡山市)の吉田氏とあります。
児島郡林村(倉敷市林)佐藤家に
「**智性信女 佐藤三嘉利道興娘槙備中窪屋郡倉敷村小山安右衛門忰甚輔妻 天保二年歿年二十二才」
という墓碑があります。年を合わせるとこの安右衛門は敏行のことで、敏行の墓誌に、
「生三男三女伯叔及長女皆夭中子成章嗣後」
とありますので、甚輔は成章であることが解ります。
敏行季女類は玉島の亀山佐平治弟惟忠を迎えて分家しています(天保十一年歿年二十二)。


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